まだ君は知らない、君の歌



 一瞬、頭が真っ白になった。
 でも彼は、ふわりと笑って言った。


「音楽的に、だけどね」


 冗談めいた言い方なのに、不思議と嘘じゃないとわかる。
 その眼差しに、揺るぎのない確信があった。


「……今はそれだけじゃないけど」


 さらりと付け加えたその言葉に、心臓が跳ねる。
 ……なんてずるいんだろう、この人は。


「君の声は奇跡なんだ。君だけが持ってる“音”なんだよ」

「そんな、私は普通で……」

「普通じゃないよ」


 即答された。

 思わず、息が詰まった。


「自分で自分の声、聴いたことないでしょ?」

「……あるけど」

「本当の意味で、自分の声の価値を知ってる人なんていないよ」


 穏やかだけど、断言する声だ。
 優しくて、でも芯があって、どこまでもまっすぐなその言葉に、思わず視線を合わせる。
 奏良くんの目は、何かを信じ切っている人の目だった。


「俺は──一度聴いた瞬間に分かった」

「……何が?」

「君は、“俺の音楽”に必要な人なんだって」


 その言葉は、まるで愛の告白みたいだった。
 けれど奏良くんはただまっすぐに、音楽の話をしているだけ。
 それが分かっているのに──どうしようもなく心が震えた。


「お願い。絃音」


 名前を呼ぶ声が、甘くて。呼ばれるたびに、胸の奥が甘く締めつけられる。
 その声が、私だけに向けられていると思うと、涙が出そうになった。


「君の声で、俺の音楽を完成させて」


 その一言で、世界が少しだけ変わった気がした。

 手が震えた。
 でも。

(──私は……)

 彼の真剣さに、逃げることができなかった。


「……私、上手くできるか分からない」


 それが、本当に本当に正直な気持ちだった。
 できるとかできないじゃない。ただ、不安だった。

 でも──


「いいよ。分からなくても」


 奏良くんはそう言って、少しだけ表情をやわらげた。
 どこか安堵するような笑みで。


「君が歌ってくれるなら、それで十分」


 その目は、恋人を見るような目だった。
 大切なものを見つけた人の、守りたいと願う目だった。

 気づけば私は──


「……分かった」


 小さく、そう呟いていた。
 それは、心のどこかで“歌いたい”と願っていた自分の声だった。


「ありがとう」


 奏良くんは嬉しそうに言う。
 そして──そのまま私の頭を、優しく撫でた。あたたかな掌が、髪をそっとすくうように通っていく。


「本当に、大切にするから」


 その言葉が、静かに胸の奥に落ちて。
 私は、思わず涙がこぼれそうになった。

 でも、まだ気づいていなかった。



──私はもう、とっくに“溺愛”されていたということに。

 
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