御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました
「今日は、なるべく早く帰るから。」

「うん、いってらっしゃい。」

そう言って、私はそっと目を閉じた。

だけど——

「行って来ます」とだけ言って、そのまま靴を履こうとした律さんの背中に手を伸ばす。

「……ちょっと待って。」

「ん?」

私は律さんのスーツの襟を掴むようにして、首元を引き寄せた。

「なに?」

「キス。」

「はあ?」

律さんの目が丸くなる。

「行ってらっしゃいの、キス。」

私がそう言うと、律さんは一瞬きょとんとした後、口元を緩めた。

「千尋、かわいすぎ。」

次の瞬間、優しく唇が重なった。

深くも軽くもなく、けれど確かに甘いキス。

「……いってきます。」

「いってらっしゃい。」

扉が閉まったあとも、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。

胸の奥が、じんわりと温かくて。

これが、新婚生活なんだと思った。
< 63 / 252 >

この作品をシェア

pagetop