とある伯爵と不遇な男爵夫人の計画~虐げられるだけの結婚生活は捨てます~
第1話
瞼に優しい夜明けの光が差し込んでくるのと同時に、憂鬱な気分が身体全てに襲い掛かって来た。
ああ、また朝がやってきてしまったのね。このまま死んでしまえばよかったのに。
「はあ……」
愚痴をこぼしたいけど、そうしてはいられない。私……ユーティア・エレミーは貴族のものにしては簡素なベッドから身を起こし、クローゼットから今日の服を取り出す。本来なら朝の身支度は全てメイドがしてくれるものなのだろうけど。
白いが年季の入ったネグリジェから紺色の地味目な服に着替えて、胸元までぴしっとボタンを留める。髪は先に三つ編みにしてそこからお団子にして……と。シニョンはなんだかんだですっきりするからよくしている髪型のひとつだ。
「はやくメイクをしなきゃ」
私はエレミー男爵家の妻。実家も男爵家で私含めて男3人女4人の大所帯だった。なのでわりかし結婚自体はあっさりと決まって、両親やきょうだい達は泣いたりもしていたけど温かく送り出してくれたのは今でも覚えている。
だけどこの嫁ぎ先は地獄だった。まず夫のクライストは平均程の身長に華奢で茶髪と目立たない容姿を持ち、言葉遣いは穏やか。でも一言でいえばとにかく弱い。弱すぎる。もやしのような軟弱な男だ。
――ユーティア。ママの言う事はちゃんと聞いた方がいいよ……。
このクライストを溺愛し彼が言いなりになっているのが彼の母親で私からすれば姑にあたるマレナお義母様と、クライストの妹・クララのふたり。お義父様は結婚前にお亡くなりになっているみたいだけど、そのせいかこのエレミー男爵家はマレナお義母様を中心に回っている。
そしてマレナお義母様とクララは理不尽でわがままかつ浪費癖が凄まじい。家事や領地経営は全て私に押し付けている上に、これまで何度も実家はじめ他の貴族から融資を受けたりしている。だから私のお小遣いはないに等しい。
――ユーティアさん、まだ朝ご飯出来ていないのかしら? 全く愚図でのろまね。
ああ、今にもマレナお義母様から朝ご飯の催促が飛んできそうな気分になってきた。早くメイクを終わらせて厨房へ向かわないと。
メイクを終わらせると手を洗い、厨房へと走っていると、廊下で会いたくない人物に遭遇した。
「あっお義姉様ぁ。何してるのよぅ」
「クララさん。お、おはようございます」
豪華なシルクの寝間着姿のクララだ。あんなシルクの服を着るから、借金がかさんでしまうのよ。
いつも綺麗にくるくるとセットされているブロンドの長い髪はボサボサにみだれている。するとおぉ~いと間の抜けた男性の声が聞こえてきた。
「クララ、どうしたんだい?」
のっそのっそと歩いてきて、クララの腰に手をやる上半身裸の金髪の男はサンタル・ヴェリテ伯爵。クララの婚約者だ。彼の金髪もまた、あちこちに毛先が飛びまくっているのが見える。
……お盛んな事だ。おそらくはヴェリテ伯爵はクララがわがままで男好きなのを知らないのだろう。
「あら、ヴェリテ様。何でもありませんわよ。ただお腹が空いたなって」
ちらりと私を横目で見たクララ。早く朝食を用意しろとでも言いたいのだろう。
「そうだな。僕も朝食を頂きたいな」
「ですって、お義姉様? ヴェリテ様、お義姉様の作るお料理はとっても美味しいのですわよ?」
クララはわがままな娘。でも婚約者であるヴェリテ伯爵にはそのような面は見せない狡猾な部分もある。
もちろんここにはコックはいないし、私が断れば私含めて食事にありつけないし、マレナお義母様とクララが機嫌を悪くさせるのは容易に想像可能だ。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
「お願いね、お義姉様?」
にっこりと笑うクララにヴェリテ伯爵は見惚れているようだけど、私には恐怖しか感じない。
実家よりも狭く暗い厨房へ足を踏み入れ、朝食に使う食材を取り出して机に置く。クララは卵料理が好きなのだがこの頃卵の値段は高くなりつつあるのでどうしたものかなどと考えながら朝食を作り食堂に準備した。
「いただきます!」
クララはさも当たり前とでも言わんばかりの笑顔を見せながらパンにかじりつく。正直テーブルマナーはなってるとは言えないけど、ヴェリテ伯爵は気にしていないようだ。
「あら、朝食もう準備出来ていたの。なら早く言えば良かったのに」
このタイミングでマレナお義母様とクライストがゆっくりとした足取りで食堂に入ってきた。クララとヴェリテ伯爵とは違い、2人とも髪を整え着替えを済ませている。マレナお義母様の眉にはいつものように深い皺が幾重にも刻まれているのが見えた。
「おはようございます。お義母様」
「ふん、じゃあ朝食を頂こうかしらね。クライストも座りなさい」
「うん、ママ」
お小言をネチネチ言われるかと身構えたけど、どうやらお小言よりも食欲の方が我慢出来ないようだ。マレナお義母様は無言でお気に入りのお白湯を飲んでから朝食にありつく。
「あらあら、クララ……おいしいの?」
途中でマレナお義母様がクララに甘い声で語りかけると、クララは私に向けておかわりは? と問うてきた。
「ユーティアさん、おかわりは?」
「はい、すぐにご用意いたします」
「お願いね、お義姉様~」
その後。私がクララの分のおかわりを持って食堂へと再び戻ろうとしていた時、食堂の中からヴェリテ伯爵がクライストに何やら質問しているのが聞こえてきた。
「へえ、子供はまだなんだね」
「は、はい……」
「ユーティアさんにまだ子供が出来ないなんて呆れますわ。ふふっ、私もいつまで待てばいいのやら」
そのマレナお義母様の軽い言葉に私は呆れた声を出してしまった。
そもそもマレナお義母様は子供は嫌いと言う上に、私はクライストとは殆どベッドを共にしていない! それもこれも私がクライストとそういう事に至るのをマレナお義母様が許さないからではないか!
「私も早く欲しいのですけどね? それにお義母様が子供を欲しがっているなんて初めて聞きましたわ」
クララへおかわりの入ったお皿をことりと置いてから、むかむかした感情を全て吐き出すと、食堂は一瞬にして静寂に包まれた。マレナお義母様のヴェリテ伯爵に見せていた余所行き用の笑顔は不自然に引きつっている。
「そうなのかい? エレミー夫人」
「ほほほ……そのような事はありませんわ。この愚嫁はいつもこうしてわがままばかりおっしゃっているので困っておりますの」
「なっ……!」
クライストに目を向けると、彼はバツが悪くなったのか用を足しに行く! と叫んでその場から走り去っていった。当然クララもマレナお義母様の味方だから、この場に私に味方してくれる人は誰ひとりとしていない状況に至る。
「ユーティアさん、わがままはよろしくないよ? 貴婦人として貞淑にね?」
これは私を陥れる罠だったのね。完全にヴェリテ伯爵は彼女達の言葉を信じきっているようだ。言い返そうにも決定的な証拠が無いので黙っているより他なかった。
「申し訳ありません……」
深々と頭を下げ、ゆっくりと頭を上げた時。クララのにやついた悪どい笑みが視界に飛び込んできた。
「お義姉様、かわいそう~」
くすくすと笑う彼女と、冷たい視線を向けながら出ていきなさいと小さく語るマレナお義母様に耐えきれず私は部屋から小走りで出ていくしかなかった。
ああ、また朝がやってきてしまったのね。このまま死んでしまえばよかったのに。
「はあ……」
愚痴をこぼしたいけど、そうしてはいられない。私……ユーティア・エレミーは貴族のものにしては簡素なベッドから身を起こし、クローゼットから今日の服を取り出す。本来なら朝の身支度は全てメイドがしてくれるものなのだろうけど。
白いが年季の入ったネグリジェから紺色の地味目な服に着替えて、胸元までぴしっとボタンを留める。髪は先に三つ編みにしてそこからお団子にして……と。シニョンはなんだかんだですっきりするからよくしている髪型のひとつだ。
「はやくメイクをしなきゃ」
私はエレミー男爵家の妻。実家も男爵家で私含めて男3人女4人の大所帯だった。なのでわりかし結婚自体はあっさりと決まって、両親やきょうだい達は泣いたりもしていたけど温かく送り出してくれたのは今でも覚えている。
だけどこの嫁ぎ先は地獄だった。まず夫のクライストは平均程の身長に華奢で茶髪と目立たない容姿を持ち、言葉遣いは穏やか。でも一言でいえばとにかく弱い。弱すぎる。もやしのような軟弱な男だ。
――ユーティア。ママの言う事はちゃんと聞いた方がいいよ……。
このクライストを溺愛し彼が言いなりになっているのが彼の母親で私からすれば姑にあたるマレナお義母様と、クライストの妹・クララのふたり。お義父様は結婚前にお亡くなりになっているみたいだけど、そのせいかこのエレミー男爵家はマレナお義母様を中心に回っている。
そしてマレナお義母様とクララは理不尽でわがままかつ浪費癖が凄まじい。家事や領地経営は全て私に押し付けている上に、これまで何度も実家はじめ他の貴族から融資を受けたりしている。だから私のお小遣いはないに等しい。
――ユーティアさん、まだ朝ご飯出来ていないのかしら? 全く愚図でのろまね。
ああ、今にもマレナお義母様から朝ご飯の催促が飛んできそうな気分になってきた。早くメイクを終わらせて厨房へ向かわないと。
メイクを終わらせると手を洗い、厨房へと走っていると、廊下で会いたくない人物に遭遇した。
「あっお義姉様ぁ。何してるのよぅ」
「クララさん。お、おはようございます」
豪華なシルクの寝間着姿のクララだ。あんなシルクの服を着るから、借金がかさんでしまうのよ。
いつも綺麗にくるくるとセットされているブロンドの長い髪はボサボサにみだれている。するとおぉ~いと間の抜けた男性の声が聞こえてきた。
「クララ、どうしたんだい?」
のっそのっそと歩いてきて、クララの腰に手をやる上半身裸の金髪の男はサンタル・ヴェリテ伯爵。クララの婚約者だ。彼の金髪もまた、あちこちに毛先が飛びまくっているのが見える。
……お盛んな事だ。おそらくはヴェリテ伯爵はクララがわがままで男好きなのを知らないのだろう。
「あら、ヴェリテ様。何でもありませんわよ。ただお腹が空いたなって」
ちらりと私を横目で見たクララ。早く朝食を用意しろとでも言いたいのだろう。
「そうだな。僕も朝食を頂きたいな」
「ですって、お義姉様? ヴェリテ様、お義姉様の作るお料理はとっても美味しいのですわよ?」
クララはわがままな娘。でも婚約者であるヴェリテ伯爵にはそのような面は見せない狡猾な部分もある。
もちろんここにはコックはいないし、私が断れば私含めて食事にありつけないし、マレナお義母様とクララが機嫌を悪くさせるのは容易に想像可能だ。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
「お願いね、お義姉様?」
にっこりと笑うクララにヴェリテ伯爵は見惚れているようだけど、私には恐怖しか感じない。
実家よりも狭く暗い厨房へ足を踏み入れ、朝食に使う食材を取り出して机に置く。クララは卵料理が好きなのだがこの頃卵の値段は高くなりつつあるのでどうしたものかなどと考えながら朝食を作り食堂に準備した。
「いただきます!」
クララはさも当たり前とでも言わんばかりの笑顔を見せながらパンにかじりつく。正直テーブルマナーはなってるとは言えないけど、ヴェリテ伯爵は気にしていないようだ。
「あら、朝食もう準備出来ていたの。なら早く言えば良かったのに」
このタイミングでマレナお義母様とクライストがゆっくりとした足取りで食堂に入ってきた。クララとヴェリテ伯爵とは違い、2人とも髪を整え着替えを済ませている。マレナお義母様の眉にはいつものように深い皺が幾重にも刻まれているのが見えた。
「おはようございます。お義母様」
「ふん、じゃあ朝食を頂こうかしらね。クライストも座りなさい」
「うん、ママ」
お小言をネチネチ言われるかと身構えたけど、どうやらお小言よりも食欲の方が我慢出来ないようだ。マレナお義母様は無言でお気に入りのお白湯を飲んでから朝食にありつく。
「あらあら、クララ……おいしいの?」
途中でマレナお義母様がクララに甘い声で語りかけると、クララは私に向けておかわりは? と問うてきた。
「ユーティアさん、おかわりは?」
「はい、すぐにご用意いたします」
「お願いね、お義姉様~」
その後。私がクララの分のおかわりを持って食堂へと再び戻ろうとしていた時、食堂の中からヴェリテ伯爵がクライストに何やら質問しているのが聞こえてきた。
「へえ、子供はまだなんだね」
「は、はい……」
「ユーティアさんにまだ子供が出来ないなんて呆れますわ。ふふっ、私もいつまで待てばいいのやら」
そのマレナお義母様の軽い言葉に私は呆れた声を出してしまった。
そもそもマレナお義母様は子供は嫌いと言う上に、私はクライストとは殆どベッドを共にしていない! それもこれも私がクライストとそういう事に至るのをマレナお義母様が許さないからではないか!
「私も早く欲しいのですけどね? それにお義母様が子供を欲しがっているなんて初めて聞きましたわ」
クララへおかわりの入ったお皿をことりと置いてから、むかむかした感情を全て吐き出すと、食堂は一瞬にして静寂に包まれた。マレナお義母様のヴェリテ伯爵に見せていた余所行き用の笑顔は不自然に引きつっている。
「そうなのかい? エレミー夫人」
「ほほほ……そのような事はありませんわ。この愚嫁はいつもこうしてわがままばかりおっしゃっているので困っておりますの」
「なっ……!」
クライストに目を向けると、彼はバツが悪くなったのか用を足しに行く! と叫んでその場から走り去っていった。当然クララもマレナお義母様の味方だから、この場に私に味方してくれる人は誰ひとりとしていない状況に至る。
「ユーティアさん、わがままはよろしくないよ? 貴婦人として貞淑にね?」
これは私を陥れる罠だったのね。完全にヴェリテ伯爵は彼女達の言葉を信じきっているようだ。言い返そうにも決定的な証拠が無いので黙っているより他なかった。
「申し訳ありません……」
深々と頭を下げ、ゆっくりと頭を上げた時。クララのにやついた悪どい笑みが視界に飛び込んできた。
「お義姉様、かわいそう~」
くすくすと笑う彼女と、冷たい視線を向けながら出ていきなさいと小さく語るマレナお義母様に耐えきれず私は部屋から小走りで出ていくしかなかった。