恋うたかるた
4月になり、正社員となりフルタイム勤務となった志織の日々は大きく変わった。
「学校は大丈夫そう?」
「みわちゃんもきいちゃんも一緒だから全然平気」
親しい同級生の多くも同じ高校だから不安なく過ごせそうだと応えた娘のことばが志織にはうれしかった。
「別に新しい職場になるわけじゃないから焦らなくていいのよ」
志織の家庭事情を知っている上司の井川は、そう言いながら負荷の軽減を何かと図ってくれたが、朝は瑞穂より先に家を出なければいけなくなったし、営業所での新しい内勤業務に慣れるまで少し苦労しそうだった。
そんな志織の心の大きな支えは、沢田と過ごす時間だった。
これまでどおり毎月1回家事代行訪問をし、その間には1度一緒に過ごす時間を持てることがひとりの女として忘れていた潤いを取り戻せる時だった。
「少し遅かったね」
桜吹雪の舞う庭園を歩きながら沢田が志織に語りかけた。
「ええ、でもこれも素敵」
肩や頭に花びらを乗せながらふたりはゆったりとした会話を交わしながら歩く。
4月初めの土曜の高輪のホテルの中庭は散りゆく桜を惜しむ客で賑わっていた。
「そういえば上から見ることはあまりないよね」
さっき歩いていた庭園の散策路を部屋のバルコニーから見下ろしながら志織の腰に手を回して沢田が言った。
都心の有名なホテルの庭を手をつないで歩けなかったふたりは、エレベータの中でその日初めて手をつなぎ合った。
恋人つなぎで、どちらからともなくしっかりと握りしめた。
バルコニーから部屋へ戻りレースのカーテンを引いた沢田に志織はそっと抱かれ、唇を重ねられた。
舌がとろけるように絡み合い、お互いの頬がすぼまる。
夢中になる中で歯が当たる小さな音がして沢田が少しだけ口を引き、今度は志織の唇を甘噛みすると彼女の喉の奥からこらえられない吐息が切なく洩れた。
「きらいになりませんか?」
服のまま何度も絶頂の渦に翻弄された志織は、沢田の腕の中で胸に顔を伏せながらつぶやくように訊ねた。
「どうして? 可愛くって… たまらない…」
志織の頭を見下ろして語りかけるように沢田が応える。
「恥ずかしい… こんなに何度も…」
「素敵だよ… しおりちゃん…」
泣く子をあやすような沁みる声に、志織はもう一度彼にしがみついた。
4月の休日の明るい陽射しがふたりを浮かびあがらせる。
バルコニーの手すりに止まっていたスズメが2羽、そんなふたりを見つめながら首をかしげていた。