近くて、遠い、恋心
「あんたさぁ、妹から手を離してくれないかな」
「お兄ちゃん……、どうして?」

 真後ろで響いた声に身体が反射的に佐々木さんの手を振り払っていた。そして振り返った先に見た人物の顔を見て、心に後ろめたさが広がっていく。
 何も悪いことなどしていない。それなのに男の人と一緒にいるところを理人に見られ、心がひどく動揺して言葉が続かない。
 そんな私の心を置き去りに、理人は佐々木さんに剣呑な視線を投げる。

「あんた、妹の何? まさか、彼氏とか言わないよな」

 普段の礼儀正しい理人からは想像も出来ない挑発的な物言いに焦る。
 ただの仕事仲間でしかない佐々木さんからしてみれば、言いがかりも甚だしい。気分を害してもおかしくない。
 慌てて佐々木さんを振り返った私は、彼の表情の冷たさに息をのんだ。いつも穏やかで、冷静沈着、怒っているところなど見たことがない佐々木さんが静かに怒っている。

「わたしが、恋人で何かマズいことでもあるのですか? 夏菜さんも、交友関係にまで、お兄さんに口を出されたら嫌でしょ」
「なんだと!?」

 怒りも露わに一歩を踏み出した理人の姿に、反射的に身体が動いた。理人の前に躍り出た私は、両手で理人に抱きつき、それ以上前へと進まないように押し返す。

「お兄ちゃん、やめて!! 彼は……、佐々木さんは、仕事仲間で恋人じゃないから!」
「そんなこと、信じられるかよ! アイツは否定しなかったじゃないか」
「もう、やめて。帰ろう! 家でちゃんと話すから」

 ここは繁華街のど真ん中なのだ。
 中心部から少し外れているとはいえ、まったく人の目がない訳じゃない。今も遠巻きに野次馬らしき人達が数人、様子を伺っている。そんな状況にも気づかないほど、理人が佐々木さんの存在に怒っている。どうしてかはわからないけど、ここにいたら巻き込まれた佐々木さんにも、さらに迷惑をかけてしまう。

「申し訳ありません。この穴埋めは後日必ずさせていただきます」

 私は理人の手首をつかみ、佐々木さんへと深く頭を下げる。そんな私の背後から響いた女性の声に心臓が激しく脈打った。

「ちょっと、理人。鞄、忘れてるわよ! 突然、お店飛び出すなんて、どうしたのよ?」

 振り返ってはダメ。振り返ったら最後、心が壊れる。でも、我慢出来なかった。
 見慣れた理人の鞄を振りつつ、こちらへと近づいて来る女性に心が悲鳴をあげる。
 カジュアルな紺のパンツスーツを着こなし、長めのウェーブ髪を背中へと垂らした美しい女性。明らかに理人より年上の女性は、自分にはない大人の魅力を放っていた。

「うん? わたし……、タイミング間違えたかしら」

 もう、我慢出来なかった。
 私は捕まえていた理人の手首を離し、佐々木さんの元へと駆け寄ると、彼の手をつかみ理人に背を向け走り出した。
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