近くて、遠い、恋心
「佐々木さん、有り得ませんよ。だって理人は兄ですし、兄妹で恋心を抱くなんて……」
「そうかな? 義兄妹なんでしょ。それに血の繋がりもない。恋愛感情を持ってもおかしくないでしょ」
「でも、理人は兄で……、この想いは罪で……」
「そっか、夏菜さんの想い人はお兄さんだったんだね」

 無意識に吐き出された言葉の意味に気づき血の気がひく。
 兄への恋心は罪なのだ。口に出すことさえ許されないと言うのに、佐々木さんに兄への想いを知られてしまった。

「いいえ、違うんです! 初恋というか、今は違うんです!!」
「否定すれば、するほど、心の中は見えてしまうものなんだよ」

 優しい目をして私を見つめる佐々木さんの顔が涙で滲んでいく。
 ずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。この報われない想いを慰め、癒してくれる誰かを探していたのかもしれない。

「お兄ちゃんを好きだなんてダメだってわかってた。想いを捨てなきゃって。でも、捨てられないんです。理人の側にいられるなら妹でもいいって思うほどに、愛しているんです」

 掻き抱くように引き寄せられた身体が強く抱きしめられる。鼻腔を抜ける匂いは、爽やかでいて深い森を思わせる落ち着いた大人の香り。理人のまとう香りとは全然違う匂いに胸が切なく痛む。

「こうして、君を抱き寄せている自分はズルい男なんだと思う。でもね、もうこんなチャンス二度とないから、このまま聞いてくれる?」

 私は佐々木さんの胸に頬を寄せ、わずかに頷く。

「夏菜さん、お兄さんへの気持ちが捨てられないなら捨てなくてもいい。でも、その辛い想い、俺にわけてくれないかな。君を見ていると切なくなるんだ。肩ひじ張って、必死に堪えて、笑う、君は見ていられない」

 佐々木さんは、ずっと見てくれていた。
 養父に、過干渉の母。血のつながりのない兄に、秘密を抱えた妹。どこか歪な家族は、自分にとって地雷そのものだった。
 兄への恋心を隠した日から、この報われない想いを悟られないように生きて来た。
 他人に干渉されないように、弱味を見せないように、プライベートはもちろん仕事でも一線を引き深く関わらないようにしてきた。
 だから、誰かに頼るなんて考えられなかった。一人で抱え、一人で対処していく。綱渡りのような生活の中で出会った佐々木さんは、人と距離を置きたがる私にもよく声をかけてくれる人だった。
 始めは取引先の人という印象しかなかった。それが、いつの間にか同僚や長年仕事を共にしている人達よりも近しい距離になっていた。あんなに拒否していた食事会や飲み会ですら、佐々木さんに誘われて行くようになっている。彼のおかげで私の世界が広がっていったのも事実だ。
 友人のような存在が、恋人へと変わる。佐々木さんに甘えてもいいのかな。
 でも、佐々木さんに抱かれながら、考えてしまうのは理人のことだけ。
 今、抱きしめてくれているのが理人だったら、どんなに幸せだろうか。佐々木さんの気持ちを利用して寂しい想いを満たそうとする私はズルい女だ。
 首を横に振り『否』を示す私の頭が優しく撫でられる。

「今すぐ返事はいらない。夏菜さん、肩の力を抜いて軽く考えてごらん。君の世界は、狭すぎる。この世の男は、お兄さんだけじゃないだろ。もっと良い男が転がっているかもしれない。例えば、目の前に。まぁ、冗談はさて置き、夏菜さんは恋愛経験を積むために俺を利用すればいい。もちろん、俺も全力で君を口説くけどね」

 どこまでも優しい佐々木さんの言葉に上を向けば、慈愛に満ちた瞳とかち合った。
 スッと離れた身体の距離に速くなった鼓動の音を聴かれなくて良かったと思う私は、どこまでもズルい女なんだろう。
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