近くて、遠い、恋心
「……もう、うんざり。家族ごっこも、妹を演じ続けるのも。だから、私はこの家を出ていく」
「はっ!? 夏菜、出ていくって……、どういうことだよ!!」
「さっきお兄ちゃんが勘違いした男。彼ね、誰もが知っている有名な広告代理店の部長なの。その彼から直々にヘッドハンティングされたのよ。海外で仕事をしないかって」
「海外って……、嘘だよな? 騙されているだけだろ」
「ふふ、大手広告代理店の部長クラスの人間が、たかが中規模広告代理店の従業員を騙して何の徳があるっていうのよ。それに海外での仕事が成功すれば、帰国後は夢だったデザイナー部門での登用を約束してくれた。そんな夢のような話、断る理由なんてないでしょ」
「なんで……、なんで相談してくれなかったんだ?」
「なんで? じゃあ、相談して今の話を喜んでくれた。一人暮らしをしたいって言った私の味方に、お兄ちゃんはなってくれなかったじゃん」
「それは……」

 理人が口ごもる。

 過去一度だけ、私は理人への想いを隠し"妹"で居続けることに耐えられず、逃げ出そうとしたことがあった。物理的に理人と会いさえしなければ、いつか彼への想いも消える。就職を機に一人暮らしを提案した私へと突きつけられたのは家族からの拒否だった。あの時、義父は反対するつもりがなかったのか何も言わなかった。しかし、断固拒否する母へと理人が味方についたことで、私の一人暮らし計画は潰えたのだ。
 理人は、"私"という存在に執着する母とは違う。ただ、"家族"という存在に執着する理人もまた、母と同類なのかもしれない。だからこそ、海外へ行くという私の味方に理人がつくことはない。家族がバラバラになることを何よりも恐れている理人が、私の味方になるはずがない。だから、これ以上言葉が紡げないのだ。

「お兄ちゃんが味方になってくれないことくらい始めからわかっていた。だから、相談しても無駄」
「母さんは知っているのか?」
「知るわけないじゃない。話したところで反対されるだけだし、それになんで相談する必要があるのよ。もう、子供じゃない。自分の将来は自分で決める」
「そうか……」

 重い沈黙が室内に満ちる。
 これで終わった。理人との関係も、妹という立場も全て終わった。
 心に広がるのは清々しいほどの空虚感。あんなにも失うことを恐れていた理人との繋がりを失ったというのに涙の一つも出てこない。

 フラッと立ち上がり扉へと歩き出した私の背に理人の呟くような言葉が落とされる。
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