近くて、遠い、恋心
「夏菜、もう帰るのか?」

 声だけでわかってしまう。それほどまでに理人の妹として過ごした時間は長い。
 心臓の鼓動の音が耳に響き、その高鳴りに嫌でも理人への想いを自覚させられる。

 理人の顔を見たい。
 そして、あの夜のことを謝りたい。
 理人の望む妹になるから、側にいさせてと、すがりつきたい。

 結局、全てを失ってなお私は、理人への想いを捨て切れないのだ。でも、過去は戻らない。

 振り返りたくなる衝動を抑え、その場に佇むことしか出来ない私に焦れたのか、理人は『夏菜も座れよ』と声をかけ、一つ席を開け腰を下ろした。

 長い沈黙が落ちる。
 ギラギラと照りつける太陽に陽炎がゆらめき、遠くで聴こえる声援とミンミンと鳴く蝉の声が、現実との境を曖昧にしていく。
 過去へと想いを馳せてしまうのは、理人との関係を取り戻したいと願ってしまうからだろうか。

「夏菜、覚えているか? 俺の高校最後のインハイもここだった」

 理人の言葉にわずかにうなずく。
 忘れるはずがない。ずっと忘れられず理人の面影を探しに、毎年、この舞台を観に来ていた。告げられない恋心を癒しに。

「俺さ、あの時。インハイに出る予定じゃなかったんだ。高校三年の夏は補習とか、夏季講習とか大学受験対策で勉強するのが当たり前で、部活やっている奴なんていない。でも、どうしてもあきらめられなかった」

 高二の春から陸上部のマネージャーになった私は理人がなぜ高三のインハイにこだわったのか知らない。ただ高二のインハイ直前に怪我をして出場が叶わなかったから、高三のインハイへの出場にこだわったのではないかと当時の先輩から聞いたことがあった。
 真相はわからない。ただ、皆が受験に向け部活を引退していく中、残る選択をすることは並大抵の決意ではない。
 最後まで自分の意思を貫き通す彼の強さを知り、恋心が増していったように思う。そして淡い恋心はいつしか焦がれるほどの恋へと変わった。
 自分にはない強さをもつ理人は、いつだって私にはまぶしく映る。

「夏菜……、俺がインハイまでがんばろうと思えたのは、お前が背中を押してくれたからなんだよ」
「えっ?」

 言葉の意味がわからず振り向くと、優しく細められた目と視線がかち合う。
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