私と御曹司の始まらない恋の一部始終

第35話 始まらない恋が終わる時ドラムロールが鳴り響く

私以外、出て行ってほしいってどういうこと?
杏奈は考えようとして何も考えられず、ただ黙って突っ立っていた。
「なにそれ? 発表できないならクラブへの入部は認め……」
雪華が文句を言いだしたが
「私たちは外に出ましょう!」
ウタちゃんがいい、雪華の腕をとった。
ゆりぴょんもなにか感じたようで
「うん、そうだよね! 出よ!」と雪華の背中を押す。
「え、ちょっとなに?」
雪華はゆりぴょんに押しだされていく。
「三山君も出ましょう」
田鍋ケイイチロウを見て立ち尽くしていた三山タイシは、ウタちゃんに呼ばれて我に返った。
「ああ、そうですね、そうです」
音楽室から出ようとした三山君は、最後に一度田鍋君を振り返った。
そして、微笑んだ。
嬉しそうでもあり、悲しそうでもあり、淋しそうにも見えた。三山君の涼やかな目元は、田鍋君だけを見ていた。やさしい眼差しだった。
 みんなが出て行って、音楽室には杏奈と田鍋ケイイチロウの二人になる。
「なんで私だけ……?」
杏奈は自分の声が震えているのに気がついた。
「実は、詩を書けていない」
ああなるほど、と杏奈は思った。三山君とつきあっていることがバレては困るから田鍋君は詩を書けなかったのだ。そして事情を知る杏奈になにか相談でもするのだろう。
「書けないので声で吹き込もうと考えた。だがボイスレコーダーをオンにしたまま眠ってしまったのだ」
「まあ仕方ないよ」
「いやそれが……ちゃんと録音されていたのだ」
「え、じゃあ詩ができてたの?」
「詩というか……寝言」
杏奈はつい笑ってしまった。田鍋君は真剣に話しているけど、これはもうカワイイというしかない。
「どんな寝言よ」
杏奈が茶化すと、田鍋ケイイチロウはいっそう深刻な顔をした。
「夢というのは人間の深層心理に深く関係していると聞く。たかが寝言、されど寝言だ」
いったい何を言い出すのかと思ったら、田鍋ケイイチロウはスマホを杏奈に見せ、再生ボタンを押した。
もしかして田鍋君の寝言? 杏奈は聞きたいような、聞いちゃいけないような、そわそわしながらも音声に集中した。
「だめだ……行くな……杏奈……そばにいてくれ杏奈……杏奈……」
え?
田鍋君の声だった。
私を呼んでた?
「これって……」
「寝言かもしれない。でも俺は、これもまた詩なのではないかと思った」
え? 何? 全然わからない。
「目が覚めた時、俺は泣いてたんだ。どんな夢をみたか思い出せなかったが、この録音を聞いてなんとなくわかった。俺は杏奈がS組からいなくなって淋しい。杏奈が家にもどってしまって悲しい。杏奈に会えなくてつらい」
田鍋君がゆっくりと杏奈に目をあわせた。
「これは恋だと思う。俺は杏奈が好きだ」
頭が真っ白になる。ふわふわする。足が地面から離れている気がする。田鍋君の声だけが聞こえてくる。
「杏奈に好きな人がいることは知っている。だから友人としてで構わない。これからも会うことはできないだろうか」
田鍋君が私のことを好き……?
それってどういう意味なんだろう? 好きってどういう意味だっけ?
気持ちが追い付かなくて杏奈が黙っていると、田鍋君は誤解したようで
「困らせてしまって悪かった。友人として会い続けたいなど、俺の一方的な都合でしかないな。さっきのは撤回する、忘れてくれ」
田鍋君はスマホをしまうと、音楽室から出て行こうと扉に向かって歩き出した。
「待って」
田鍋君が振り返り、杏奈の言葉を待つ。
杏奈の心臓がドラムロールみたいに鼓動している。ドドドドドドドドドド…………!
「私も、私も好き。田鍋君が好き」
なぜか早口になってしまった。
「それは……俺のことが好きということか? 杏奈が好きなのは俺だったのか?」
「そうだよ、そういってるじゃない」
ああ、なんでこんな言い方しかできないんだろう。でもドキドキが止まらなくて落ち着いて話すこともできない。その上沈黙も怖くなってしまって、杏奈は勢いで話し続けた。
「三山君に近づこうとしてたのに、いつのまにか田鍋君のことが気になって。だって田鍋君は私のせいで怪我したり、私のことかばってくれたり、あと私のラーメンも美味しそうに食べてくれて……でも田鍋君には三山君がいるって……」
気持ちが溢れ出すのと一緒に、杏奈の目から涙もあふれ出た。
ずっと心の真ん中にあったこと、言いたくても言えないでいたことが、飛び出していく。
「杏奈……俺もずっと杏奈のことばかり考えていた」
田鍋君も私を……。両想いってこと? 本当に?
「田鍋君……」
「その……田鍋と呼ぶのはやめてほしい」
それってケイイチロウって呼んでほしいってこと?
「……ケイイチロウ君」
うわ、恥ずかしい!でもなんか嬉しい!
「いや、そうじゃなくて……杏奈には本当の名前で呼ばれたいんだ」
ん? 本当の名前……?
「俺の名は……三山大紫だ」
は?
三山?
三山大紫?
「俺が本当の三山家の長男、三山大紫だ。学園に転入するにあたって執事の田鍋圭一郎と名前を入れ替えていた」
はあああ? 
待って待って。つまり私は、執事の田鍋君を好きになったと思ってたけど、その田鍋君こそが本物の御曹司だったってこと? 
「信じられない! なんでそんなことしたの?!」
「なんというかその、用心のためだ」
杏奈はクラクラしてきた。
目の前の田鍋君が本当の三山君だと最初からわかっていたら、迷ったり悩んだりしないで、好きになれてたんじゃない?
「でも俺は嬉しいんだ。杏奈は俺自身を好きになってくれたのだな。三山家ではなく俺を……。ありがとう」
そうだけど、そうじゃない。なにかモヤモヤする。
「私……怒ってる。ひどいと思う。だって田鍋君が好きだと思ってたのに、本当は違うなんて。名前って大事なんだから!」
私は田鍋君のことを考えるたび、胸がぎゅっと締め付けられるような気になった。「田鍋君」という音の響きに心が震えた。なのに本当は三山ですって今さら言われても!
杏奈が睨み付けると、三山大紫は
「すまなかった。全面的に俺が悪い。でも……不思議だな。怒られているのに嬉しいぞ。ああそうか、俺は杏奈が怒った顔も好きだからだ」
そんなことを言って、爽やかな笑顔を見せた。
ずるい。反則だ。顔が熱くなる。私だって負けられない。
「私も……好き。三山君が好き」
初めて本当の名前で呼ばれた三山大紫が一瞬息をとめ、顔が赤くなったのを杏奈は見た。
大好き。
杏奈はもう一度、心の中で言った。

 この後、三山君(本物の!)は、田鍋君との入れ替わりをこれからどうするか考え始め、杏奈は音楽室の外で待っているみんなにどういうべきか、浮かれた頭で考えていた。
 ゆりぴょんはきっと大喜びしてくれる。雪華はまた何かひらめいて曲を作り始めるかもしれない。ウタちゃんは……。ウタちゃんの好きな人は本当は田鍋圭一郎という名だと知ったら、どうなるのだろう。三山家御曹司との恋愛は、家の事情で難しいと言っていたけど、執事の田鍋家なら? よくわからない。でもウタちゃんの恋は応援するつもりだ。だってウタちゃんは親友だから。
 そして杏奈と三山大紫は、二人で音楽室の扉をあけた。それは新しい日々へつづく扉だった。

                            

 さあ「私と御曹司の始まらない恋の一部始終」は、ここまでです。
何しろ始まってしまったのだから!
 ただこの時、杏奈も三山大紫も浮かれ過ぎていて、このあとあんなことが起きるなんて、まったく想像もしていなかった。
 そのお話、「私と御曹司の始まった恋はデスロード?!」はまたいつかお話できればと思います。
 ご愛読ありがとうございました。
                                    終わり
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