こちらヒロイン2人がラスボスの魔王と龍になります。

龍の死を想像してはならない

 祈祷の声は一向に盛り下がることなく絶え間なく朝から始まり夜の静けさを破り、祈りを封じ込めようかという闇は松明の大火によって照らされ、夜も闇も静寂さに抵抗するかのような儀式を経ることその幾日か、その甲斐もあったかどうかもしくは伴うかのように明るい戦況報告が次々舞い込んで来た。

「朗報に継ぐ朗報は良いことですけど」

 シオンが嬉し気であるのに自分が妙な気分となっていることに気づいた。

「そのうち大きな悲報がやってくるかもしれないと思うと浮かれていられませんね」

「大丈夫だシオン。この調子では終わりまでずっと朗報が続いて最後は、勝利しました! となるよ」

 対照的に、というかあえて明るく振る舞っているのかマイラは笑いながら応じた。

 そらはもちろん願っていますが、とシオンは胸に滲む不安の色を気にしないようにするもその広がりに目をやった。

 確かに不安要素はどこにも無かった。戦いは熾烈を極めているものの、包囲された中央の軍は悲愴的なものであり、最後の戦いをどう自らの美しさを歴史に残すべきか、とそれだけを考えての攻撃を繰り返しているようにも見えた。

「戦いの途中で四度目になる降伏勧告の合図を送るも返事はなしの礫だ。中央の龍は意思表示ができない状態か座して死す覚悟なのかもしれない。軍の戦いはその意を汲んでの殉死ともみえる」

 マイラの予想が本当なら中央側にはもう交渉相手は存在しないということでありこのまま最後まで殲滅する他ないことになる。

「中央の龍は……皇子は一人で何もかもを決めたがる男だったからな。敢えて意見を言うものはもう中央にはいまい」

 それを何とか補佐していたのが自分で……と言外に言ってはいたがシオンはそこには触れなかった。

 この自分の夫となる男がかつて中央の皇子の付き人兼親友であったことを、そしてそのことは今の自分が龍身の護衛兼親友であることと表裏一体なこととなっていることを。

 また一通が届き封を開けるとハイネからの報告であり前線の様子や戦況の詳細が述べられており、バルツからのものとは大きな違いがなくこれによって前線の優勢が確定したとシオンは胸を撫で下ろした。

「……こういう報告書だととても賢い子だと思うのですけどね」

「どうしたの? ハイネ君は昔から賢い子じゃないか」

「いえ、まぁそうですけど、はい、あの子は頭は良いですよ」

 独り言をマイラに聞かれたために慌てて歯切れの悪い返事をしながらもう一度手紙に目を落した。

 その俯瞰的ともいえる客観性に羅列されおまけに数字も駆使した分析。

 この高度な能力を伺わせる報告にシオンは信頼を寄せているが、同時に不信感も湧いた。

 なんで自分自身にこの能力を使ってくれないのか? 厳密に言うとあの男に関してだけ客観性と計算による分析を放棄してしまうのか。解せぬ……

 そうだ、よそう。あんな男のことで悩みたくもない、とシオンはマイラに手紙を渡した。

「うむ。ハイネ君の報告は今回も素晴らしいね。正面へ攻勢をかけている第一隊は損害数が軽微なことから昼前には、は昨日のことだが突破し、後続の第三隊第四隊が城内の各拠点を制圧しだし、敵戦力の減少とこちらの無傷の予備兵力を考えればあくる朝までにはほぼ形勢は決定する流れだと。いつもの分析通りならこれで決まりだ。おまけに今回の戦いは勝手知ったる中央の城のことだしこうなってくれれば今日か明日には勝利しましたとの報告も来よう」

「勝利とは、つまり……龍の間で」

 シオンがそう言うと楽観的なマイラの顔が悲しみに沈む色となった。言葉には出さずともそれで自分は失言をしたと気づいたシオンが謝った。

「ごっごめんなさい」

「謝ることは無い。これから起こることについては俺が受け入れなくてはならないのだからな。事の詳細はバルツ将軍やハイネ君からではなく同行しているルーゲンからまずこちらに届けられる。俺はそれを龍身様と大僧正のもとに持っていくのだが、公式発表はもう決定しているんだ。『偽龍は攻勢前に亡くなっていた』とね。たとえどのような報告が来ようと、終わったのならこれ以外のを出すことは無い。そしてあの御二人も無事に終わったのなら詳細は聞きたくはないと言ったらそれまでだ。それ以上の無理強いなどできない」

 龍身様に大僧正も龍の死といったものは穢れだとして知りたくはないという可能性をシオンは感じた。

 それほどまでに罪深いこと……いいやそういう次元の話ではない。

 ひとつの呪いともいうべきものであり、それをこの人は抱え込むというのなら。

「マイラ様、完了の報告が届きましたらこの私にもお見せください」

 シオンがそう言うとマイラは鋭い眼つきとなった。

「あなたは見てはならない」

「龍の騎士だからですか?」

「それもあるがあなたは私の婚約者であってそのような罪に染まらずに」

 シオンはその言葉を遮るようにマイラの手を抑え握るとその睨む眼は驚きに開かれた。

「あなたが罪深くなっても私だけはそうは思いません。あなたも私が罪深いものとなってもそうは思わないはずです。それが苦しみであるのなら共有いたしましょう」

 その手をシオンは自分の喉元へと持っていった。手が冷たく震えていることにシオンは悲しみを覚えた。

「そうだな……ああそうだ。俺が見るのならあなたも見た方がいいな。シオンは俺の従姉妹でも可愛い恋人でもなく、俺の妻で宰相夫人となるのだからね」

「えっ? 私は可愛い恋人の地位を捨てるつもりは毛頭ありませんよ」

 冗談でなく本気で言っているのにマイラが苦笑いしたのをシオンは逆に睨み付け、このことを将来取り出すために記憶に刻んでおいた。

「ありがとう。龍身様は詳細を聞くことはないかもしれないから、その代わりシオンが把握しておく必要は確かにあるだろう。報告書で正面門を突破したと書いてあったから今頃は龍の間に行くものたちが行動を開始しているだろう。その中央の龍の処置だが上二人と俺との話し合いの結果として可能な限り生捕にするという方針となった」

 そうだろうな、とシオンは内心で思った。龍を殺せ、とはあの二人の口から出るとは思えない。そう言わざるを得ない立場にあるということは、つまりはその次の方針を言ったのは当然……

「生捕が不可能な場合はやむを得ないこととして任務を受けた隊で処置する……卑怯な言い方だが仕方がない、現場に丸投げってことだ。事が終わったらさっきの公式発表をし全てが終わる。そう戦争が終わり、君は髪を伸ばす」

 不謹慎であると思いながらもシオンは寂しげに笑うもその心は締め付けられていた。龍の死というそのイメージによって。

 可能なら、という曖昧で優柔不断な指示はそのイメージから逃れるためのものであるが、自分はこの人と同じことを考え逃げてはならないとシオンは心の中でしっかりと言葉にする。

 私達は龍を殺す指示をしたのだ、と。すると血の香りが脳内に漂い眩暈がしたものの堪えた。

 これからその血を実際に見て浴びる人達がいるのだからと。

「あのマイラ様。そもそも生捕にしてそのあとはどうするおつもりで? 遠くに放つというわけにもいきませんよね?」

「……地下迷宮がある。そこに向かって」

 地下迷宮? とシオンは首を捻った。それは中央の城の真下にある古代の迷宮であり過去に何度か探索はされたものの、広大かつ複雑なために未だ全容を把握しきれていない文字通りの迷宮。どうも龍との関係が深いとのことらしいが……

「でも地下牢というものではないのですよ?」

「しかしそこ以外にないのだ。だいたいがだ、今回のような事態こそが過去に一度しかなくそれについての記録も大半が失われている。龍を捕え閉じ込める……前例などあっては困るのだけれどな」

「龍を殺すということも、前例はないということになっていますよね」

 血の香りが全身に広がるもシオンは敢えてそう言い全身に力を入れた。

 マイラの顔に緊張が広がるも、重くゆっくりであるがその口が開かれた。

「前回の龍の内乱も公式発表では龍の自然死となっているが、殺されたのだろうとは軽く想像はできる」

 軽くというのにあまりにも重々しい言い方であるものの、これが精一杯であるように椅子の背もたれに息を吹きながらマイラは全体重をかけた。

「だがその際の詳細は一切残っていない。当時のトップ周辺のみがそれを知り墓場まで持っていったのだろうが」

「宰相夫人もそれを知っていたでしょうね」

「おいおいそれだとまるで歴史が繰り返しているみたいじゃないか」

 繰り返し、とシオンは口の中でその言葉を舌の上にて転がした。そのざわっとした異質感に不快感。

 いますぐ呑み込もうとは思えずいつまでも舐めまわすも、それは溶けることもなく小さくなることもなくそのまま口の中に残るその、違和感。

 吐き出そうにも吐き出せず口の中に残すものの思えばそれはいつ口の中に入れたのか思い出せないが、あるいはこうかもしれない。

 はじめからずっとそこにあり、いまはじめて、気づいたのかもしれない。

「確認したいのですがマイラ様。龍を殺めた場合はそのものはどうなってしまうのでしょうか? ここは触れないわけにはいけませんので、聞きます」

「……ここは想像を絶することであるとしか言えないんだ。俺自身の想像力が貧困であるといえるのだが、傷つけることすら考えるのが難しい。これはシオンもそうだしましてや大僧正すら答えには窮するだろう。この国の信徒には不可能だ、と」

 なら可能なのは一人しかいない。都合の良いことに信徒ではないものが前線にいる。龍への敬意がゼロどころかどこか敵意すらある反抗的なものが。

 しかし……いったいあの者は何者なのだ? 龍の内戦直後にわざわざ砂漠を越えて中央にやってきたうえにこちら側に立って戦うだなんて。

 金か地位ではなく戦い続けるあの不可思議にそのうえ私の大切な人を、とシオンは固まった。

 ジーナへの連想だというのに、いま、シオンとヘイムの顔が思い浮かんだということに。何故ヘイムが顔を出す。

「……私の予想では第二隊がその任務を命ぜられたと思うのですが」

「ここまできたら隠しても仕方がないな。そうだよ第二隊だ。ルーゲンの推薦によってバルツ将軍が承認した。そういえばあの隊は例の元龍の護衛の異人がいるみたいだが、その彼ならできるかもしれないな」

 できるであろうとシオンは湧き上がる信頼感に複雑な気持ちを受け止めた。彼なら龍を討つことができるかもしれない。

 だがそのできるとやってはならないという間には深い溝があり、そこを彼は……考えるとシオンの頭の中でまた血の香りに満ち、何かを刺しているジーナの背中が見えた。

 あの剣で以って、倒れ伏す何かを。そうではなくて紛れもなくあれは、龍であろう、いや龍である。

 血を浴びたものは果たして……その罪は……

「……龍殺しの罪とは」

 口から言葉が零れ落ちると声が遠くから聞こえた。

「しっかりしろシオン!おい聞こえるか?」

 それから背中に衝撃が来て、ようやく叩かれているということが分かると音と痛みが同時にきた。

「あっあのマイラ!? やっやめて叩かないで、痛い」

 訴えると手が止まり泣き声が聞こえた。

「急に息を止めて固まっているからひょっとして死んだんじゃないかと、痛かっただろう、すまない」

 安堵と悲しみを混ぜた顔色のマイラのあまり重くない身体におぶさってきたがシオンの困惑は消えず増すばかりだった。

 少し考え事をしただけなのにまさかそんなことになるとは。龍と血のイメージのせいだということか?

「心配をかけてごめんなさい。あのねマイラ。私はさっき龍の死をイメージしました。だからこうなったというのは、ありえましょうか」

 マイラの身体が一度震え、それから黙ってその背中から離れ、軽くなった。

「有り得るかもしれないな。特に君は龍身様に近い上に関係も深い。よりダメージも大きくなってしまうのだろう。思えばそれは龍の防衛能力かもしれない。龍は我々の意識に力を及ぼす。例えばその中に龍を傷つけてはならないという命令があるとしたらどうだろう。それどころかその死を想像すらしてはならないと……龍の側近には強く働きかけているとしたら」

 こうなってしまう。臣民の叛乱が起きようが側近の裏切りがあろうが、龍は生きて勝つ。

 その方法は他の全てに勝る防衛能力とシオンは思うと同時に自分でもおかしなことと思いながらも、言った。

「ではどうやって倒せばいいのでしょう?」

 そんなのは分かっているのに、何故問うのだろうか?

「俺の仮定が正しければやはり無信仰者の手によるしかないな」

 そんなことは分かっている。

「そうだとしたら、では前回はどうやって?」

 そんなことは知っているはずなのに。

「無信仰者かもしくは……龍はまだその力を用いていなかったのでは」

 そうではない、分かっているはずだ。ジーナが二度やる、やるのだとしたら……その先は

「その下手人は罪に問われるのですか?」

「当然問わない。第二隊は表彰されはしないが陰で恩賞が与えられる予定だ。他の隊のよりもずっと多めのがだな」

 ジーナはその褒美を手にしてどこに行くのかといえば

「西の果てに旅立てるほどの褒賞が出たらいいですね」

「こらこらシオン。怖いこと言うな。それは態の良い追放になってしまうだろうに」

 追放になってしまう? 龍の宰相殿は何を言っているのか? 私達は実際に……

「うっ……」

「大丈夫かシオン?いや、もうこの話は今日は止そう。あまりにも刺激が強すぎる」

 刺激が強いどころかこの思考の混乱はなんだろうとシオンは頭の中身を整理したかったが、自分のではない記憶が混在していることにまた混乱をした。これはいったい誰のものだ?

 私にいったいなにを伝えようとしているのか?

 考えているとシオンは卓上の封筒に目が止った。ヘイムから預かった手紙。ジーナ宛ての返信。

 ヘイムは現在龍身として儀式の中心にいてその場から離れることができない。

 明朝これを配達員に渡すわけだが、手が伸び封を切り手紙を広げると、二枚目の下半分にかなりの余白がある。

 お約束の検閲をしたためにそれを覚えていたのであるが、シオンは躊躇なく筆をとり加筆をしだした。

「どうしたシオン? 急に手紙を書き出すなんて」

「ちょっと書き足すことを思いつきまして」

「でもそれは龍身様のものでは?」

「ああこれは私たち二人で書いているのですよ」

 そうなのかとマイラは納得した顔になりシオンはその表情に愛しさを覚えた。

 この人は私の言うことはすぐに信じてくれるからこんなにも心安く信用ができると、シオンは思った。

 書き足しは大したことではないがあの胸騒ぎが予兆だとすれば、私にだけ知らせてくれた何かであるとすれば、ヘイムがあの状態であるのならこうする以外にない、とシオンはヘイムにそっくりまねた文章を書きながら不思議な焦燥感のなかにいた。
< 184 / 249 >

この作品をシェア

pagetop