こちらヒロイン2人がラスボスの魔王と龍になります。

二人の傷痕

 男の手をハイネは自分の頬に強く押し付けさせた。

「手の甲とかそういうところじゃ嫌です。そこではない、ここでないといけない。それにあなたがそこまで私の顔に傷をつけるのに抵抗があるのなら……かえって良いのです。その慄き方、その嫌悪感、その罪悪感……私を散々に弄んできたのに今更そういう顔をするのですね。だからこそ満足です。私に痕をつけ、あなたも傷ついてください。その苦痛が私の傷痕によく効く薬にあり慰めとなりますから」

 ハイネはそう言いながら男の掌に手を添え、瞼を閉じる。微笑みながらさながら眠りにつくように。

 男は短刀を取り出しハイネの頬に近づける。切っ先が震え、定まらない。止った。いったい何故? これは聖なる行いであるというのに。

「いっぱい震えて、たくさん怖がって良いですからね」

 ハイネが言う。見えていないままなのに、的確にそう言った。

「泣いても良いですよ。どのような表情となっていても私は目を閉じていて見えませんから落ち着いてどうぞ。もっとも、私はあなたの心が見えているわけですけどね」

 男はハイネの瞼を確かめるが閉じたままであった。薄めにも開いては無く閉ざされ、その中は闇であるとはっきりと分かる。

「分かります? 私はいまとても気分が良いのですよ。あなたの心がここに伝わってくるのを感じて。いつもあった壁がなくなりその感情が音と共に私の中に流れ込んでくるのが、気持ちいい。……それで――」

 強い違和感を覚える名を呼ばれた、と男は思った。自分の名、あれになる前の名……呪身の名。

「分かります? いまの私の心が? いえ、分かり見えるはずです。だって今の私がそうなのですから。それならどうして恐れるのです?」

 呼びかけられ男は瞼を閉じずにハイネを見た。それが、見えた。

 掌がそのままハイネの頬に入っていくようにして皮膚も壁も全てが失われていく感覚の中、男の震えは止まり短刀の切っ先が無抵抗のままハイネの頬に入る。

「どうか呪いを、印をかけて刻んで」

 血は、流れない。印とはそういうものだと再確認しながら男は刻んでいく。

 ハイネもまたそのことを知っているかのように触れず、語り続ける。

「あなたは私の肌に傷をつけ印という痕を刻む。まるでこれは自分のものだと誇示するようかのように」

 手は指は短刀の切っ先は正確に些かの狂いもなく頬に印を刻み続ける。

 無思考のまま無感動のまま、この頬のように全てを受け入れるように言葉を呑み込んでいった。

「これと同時に私はあなたの心に爪跡をたてつづける。醜い傷痕を掻き立て鈍い痛みと共に歪んだ傷痕を残します。その痕を見るたびに私は思うことにします。これは、私のものだって。他の誰でもなく、私のものだって」

 これもまた印の導きか、印の模様が、その文字列が、受け継ぐものにしか分からない言葉が次々と分かっていく。

「役目を終えたら傷は肉は再生し盛り上がり印は皮膚に覆われ見えなくなることになるでしょう。ですがそれは失われたということではなく、その皮膚の下にはかつて刻まれたという痕が残り続ける。それは見えないあなたの心の痕と同じものです。あなたは私を見るたびにそれを思い出す。刻んだあなただけがそれを思い出す。そしてあなただけが覚えていればいい」

 印は刻み終わろうとしていた。最後の最も新しい字が近づく、これを書き継がす時がきた。

 だが刻もうとするも、男の手は突然止まり動かなくなった。分からない文字や言葉は、刻めない。

 自分に刻まれた、自分にだけ刻まれたその文字。呪い、だろうと男は気付いた。

 だから自分はハイネのことを……

「ジーナ」

 名を呼ばれ夢から醒めたようにして男は……ジーナはハイネを見た。

 印が刻まれた女がそこにいた。その一部分だけ違う印。

 欠けているのにハイネは満ち足りた表情をしていた。それは知らない初めて会う女のようにも見えた。

「ジーナ。いまはそう呼ばせてください」

 ハイネは頬を撫でながらジーナを見つめた。鏡を見るように角度を変えたりしながら見た。

「あなたのと同じものがここに刻まれているのですね」

 厳密には違うと思うとハイネは首を振った。どうして伝わるのか? とはジーナは思わなかった。

「いいえジーナ……言わなくていい、言えなくていいのです。あなたの躊躇いで私はそれが何であるのかが薄らと伝わっていますから。ずっと……ずっと……それは……」

 ハイネの指は印のその文字のところを触れ、なぞる。また鈍い痛みが胸の奥で起こる。

 罪に対する罰のように、いつも自分を苛み続けてきたその痛みは、その文字によって……

「これはあなたに刻む必要なものであったのでしょうが、私には刻む必要のないものなはずです。ここにはあるものが封印されているはずです。封印しているものが、ここに」

 ハイネはジーナの印のその箇所に触った。

「あなたにとっての封印であり呪いなのでしょう。いまのあなたになるためのものであって……でも私にはそれは必要ありません」

 ハイネは指を掲げゆっくりと間違えないよう真ん中から左よりの扉の方へ指差した。

「あの扉があなたが進む扉です。その次の扉は印がついていますからそれです」

「……ソグの館の扉と同じなんだな?」

「そうです」

 瞬間、ジーナは額にあの日あの時の扉による痛みを思い出すとハイネの手がそこへ添えられた

「痛む、ようですね、ここに私が初めに付けた傷があるからですよね。ソグでのことを話したから……傷物、フフッそれは私が先でしたからね。私が先に傷つけた……そういうことですからねジーナ。そういうことです」

 ハイネは手を離し足を一歩引くと機械仕掛けのようにジーナの身体は半身となって扉の方を向いた。

「見送らせてジーナ。いいえ正直言うと、見張っていると言っていい。あなたが扉を間違えないのかどうかって」

「ということは……あの日もやはりそうやって私を後ろから見ていたのか」

「はい、見ていました。あなたが間違えて違う扉を開けないかと。そうでしたら言いましたよ。そこは違いますって」

 ジーナは扉を見ながらあの日のことを思った。他の扉の可能性はあったはずだ。

 最初の扉を開きそこにハイネがいた。何もかもがここに繋がっている。あの最初に選んだ扉にハイネがいて……

「……お前と会ったからにはどのみち私はあの扉に入らなくてはならなかったんだな」

「はい、私に会ったのが運の尽きです」

 運の尽き? とジーナは心の中でハイネの言葉を繰り返す。舌の上で転がす、その苦さ。

 不幸だったのか? とジーナはもう一度今度は口に出して言う

「運の尽き……」

 するとどこかが熱くなり手に力が入り、言葉は勝手に漏れ出た。尽きてなどいなかった、むしろあれは生まれたのだ。

「いや、違う。会ったのは幸福だった」

 言葉を発しながらジーナは扉の方に身体を向けた。もう扉しか見えない。

 ハイネが一歩前に出る足音が聞こえジーナは背中越しに言った。

「行ってくるよハイネ」
「はい、行ってくださいジーナ」

 歩き出したジーナはその脚が震えていることに初めて知った。お前は何故震えていると自身の脚に心で聞きながらジーナは歩く。

 背中には強張りがあり、肩が重い。お前らは何を感じそれはどういうものの現し方なのだ? ジーナは全身のそれを反発だと捉えた。

 ハイネから離れることが誤りとでも? 
それともあの行為のその全てが? ジーナは身体のそれをそのメッセージだと認識する。

 だがその全てを無視しジーナは扉だけを見ながら前を歩いた。それ以外何もなく、もう扉しかなかった。

 扉に手を掛け、捻る。抵抗もなく扉は開き後は引くだけの時、振り向きたい衝動に駆られた。

 あの日はそんな気持ちなど湧かなかった、とジーナはソグの館のことを思い出した。

 あの頃から自分はなんと遠くに来たのだろう、と物思いに耽るよりも呆然とした。

 とてつもない変化が自分の中に生じ、それを抱き続けたことを……ハイネがそうだという自分の中の象徴だとしたら……ジーナは首を振り返りそうになるも、扉を引いた。

 見る必要はないと。そこにいるのは自分なのだとジーナは扉の先にある新しい闇に目を慣れさせながら思った。

 私達は分離したのだ。背後にいるのは自分自身でありその証こそが頬の印であったと。

 そして自然に考えるまでもなく受け入れた。私達はもとからひとつであったかのように。

 その脚を闇の中に入れながら思う。かつてアリバの家で印を刻まれ振り返らずにそこから出たことを。

 その繰り返しでありそれもまた再生なのだ。

 そう、確認することなどなにもないのだと、それからジーナは扉を閉じた。
< 299 / 304 >

この作品をシェア

pagetop