恋はもっと、すぐそばに
第5章 封印が解かれる瞬間
胸の奥で何かが温かく脈打っている。それは長い間忘れていた感覚だった。
もっと話していたかった。
その想いが美咲の心を満たしていた。いつもなら「こんなことを考える私はおかしいのかも」と自己否定してしまうところだが、今夜は違った。あの人の言葉が心の奥で静かに響いている。
「あなたの知性は隠すべきものではありません」
改札を抜けながら、美咲は無意識にスマホを取り出した。いつものようにファッション情報やエンターテイメントニュースを見るのではなく、今度は「心理学 社会」と検索していた。
表示された記事の中に「社会心理学」という言葉を見つけ、さらに詳しく調べ始める。
画面に表示される記事のタイトルを見ながら、美咲は小さく微笑んだ。どの見出しも興味深く、まるで新しい世界への扉が開かれたような気がした。
あの人はどんな研究をしているんだろう。
家までの道のりが、いつもより短く感じられた。足取りは軽やかで、街の景色さえも違って見える。コンビニの明かり、行き交う人々、すべてがいつもより鮮明で生き生きとして見えた。
アパートの鍵を開けながら、美咲はふと立ち止まった。心の奥で何かが躍動しているのを感じる。扉を開けて部屋に入り、玄関の鏡に映る自分の顔を見た瞬間、驚いた。頬に薄っすらと紅がさしていて、目が輝いている。
「今日の私、生き生きしてる」
独り言をつぶやきながら、美咲は靴を脱いだ。部屋に入ると、まず本棚に向かった。奥の方にしまい込んでいた大学時代の哲学書や心理学の本を取り出す。ほこりを払いながら、懐かしい感覚が蘇ってきた。
キッチンで夕食を作りながら、美咲はあの人との会話を反芻していた。「自分らしく生きること」という自分の答えを、彼は「哲学的で本質的」だと評価してくれた。その言葉を思い出すたびに、胸が温かくなる。
コンロの前で野菜を炒めながら、美咲は気がついた。料理をしている今も、頭の中では社会と個人の関係について考えている自分がいる。そして、それを「変」だと思わない自分もいる。
食事を終えた後、美咲は久しぶりに本を開いた。大学時代の哲学の教科書のページをめくりながら、あの人との会話で感じた疑問について考えを深めていく。
「社会的期待と本来の自分との乖離」
彼の言葉が的確すぎて、美咲は驚いていた。まさに自分が抱えている問題の核心を、彼は一言で言い当てていた。
古い教科書を読み返しながら、「やっぱりもっと深く学び直したい」という気持ちが湧いてくる。そういえば、ずっと読みたかった『幸福論』をまだ読んでいなかった。
ノートを取り出し、今日感じたことや考えたことを書き始める。大学時代以来の習慣だった。ペンを持つ手が震えるほど、書きたいことがあふれ出してくる。
「私は本当はどう生きたいのか?」
ページの真ん中に大きく書いた問いを見つめながら、美咲は深く息を吸った。この問いと向き合うことから、ずっと逃げていたのだ。
でも今夜は違う。逃げたくない。
時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。普段ならもう寝る準備をしている時間だが、今夜の美咲は眠くなかった。頭が冴えていて、もっと考えたい、もっと学びたいという欲求で満たされている。
翌朝、美咲はいつもより早く目覚めた。窓の外は薄っすらと明るくなり始めている。土曜日の朝の静寂の中で、昨夜の出来事が夢ではなかったことを確認するように、美咲は手に取った本を見つめた。
鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。昨夜と同じように、いつもとは違う自分がそこにいた。
「今日は本屋に行こう」
その決意は、自然に口から出た言葉だった。いつものように躊躇することなく、美咲は支度を始めた。
書店に向かう道すがら、美咲の心は軽やかだった。これまでなら「また変なことを考えてる」と自分を責めていたような思考が、今は楽しくて仕方がない。
書店に着くと、美咲は迷うことなく哲学書コーナーに向かった。いつものようにファッション誌売り場を気にすることもない。手に取った『幸福論』の重みが、妙に心地よかった。
レジで支払いをしながら、美咲は小さな達成感を覚えた。これは小さな一歩だけれど、確実に何かが変わり始めている。
家に帰ってから、美咲は読書に没頭した。本を読みながら、あの人の言葉について考える。彼の研究分野や人柄について想像する時間も増えた。
「今度会えたら、この本の感想を話してみたい」
そう思うと、胸がざわめいた。来週の金曜日まで待ち遠しい。でも同時に、再び会えるかどうかという不安もあった。
日曜日の夜、美咲は一週間を振り返っていた。月曜日から木曜日までの職場での出来事、編集長の言葉での落ち込み、そして金曜日の奇跡的な出会い。
鏡に向かって、美咲は静かに語りかけた。
「もう偽りの自分はやめたい」
その言葉には、これまでにない強さがあった。あの人に出会う前の美咲なら、「でも現実は厳しいから」と言い訳を並べていただろう。しかし今の美咲は違った。
職場での現実との間にまだギャップはある。それは明日からも続く問題だ。でも、少なくとも自分の心の中では、もう嘘をつきたくない。
「少しずつでも変わっていこう」
その決意を胸に、美咲は眠りについた。
月曜日の朝が来るのが、いつもほど憂鬱に感じられなかった。職場では相変わらず「女性らしい記事」を求められるだろう。でも、心の奥底では本当の自分を保ち続けよう。そして来週の金曜日には、またあの人と会えるかもしれない。
美咲の中で、長い間眠っていた本来の自分が静かに呼吸を始めていた。それはまだ小さな変化だったが、確実に彼女の人生を新しい方向へと導こうとしていた。
封印は解かれた。後戻りはできない。でも美咲は、それを心から望んでいた。
もっと話していたかった。
その想いが美咲の心を満たしていた。いつもなら「こんなことを考える私はおかしいのかも」と自己否定してしまうところだが、今夜は違った。あの人の言葉が心の奥で静かに響いている。
「あなたの知性は隠すべきものではありません」
改札を抜けながら、美咲は無意識にスマホを取り出した。いつものようにファッション情報やエンターテイメントニュースを見るのではなく、今度は「心理学 社会」と検索していた。
表示された記事の中に「社会心理学」という言葉を見つけ、さらに詳しく調べ始める。
画面に表示される記事のタイトルを見ながら、美咲は小さく微笑んだ。どの見出しも興味深く、まるで新しい世界への扉が開かれたような気がした。
あの人はどんな研究をしているんだろう。
家までの道のりが、いつもより短く感じられた。足取りは軽やかで、街の景色さえも違って見える。コンビニの明かり、行き交う人々、すべてがいつもより鮮明で生き生きとして見えた。
アパートの鍵を開けながら、美咲はふと立ち止まった。心の奥で何かが躍動しているのを感じる。扉を開けて部屋に入り、玄関の鏡に映る自分の顔を見た瞬間、驚いた。頬に薄っすらと紅がさしていて、目が輝いている。
「今日の私、生き生きしてる」
独り言をつぶやきながら、美咲は靴を脱いだ。部屋に入ると、まず本棚に向かった。奥の方にしまい込んでいた大学時代の哲学書や心理学の本を取り出す。ほこりを払いながら、懐かしい感覚が蘇ってきた。
キッチンで夕食を作りながら、美咲はあの人との会話を反芻していた。「自分らしく生きること」という自分の答えを、彼は「哲学的で本質的」だと評価してくれた。その言葉を思い出すたびに、胸が温かくなる。
コンロの前で野菜を炒めながら、美咲は気がついた。料理をしている今も、頭の中では社会と個人の関係について考えている自分がいる。そして、それを「変」だと思わない自分もいる。
食事を終えた後、美咲は久しぶりに本を開いた。大学時代の哲学の教科書のページをめくりながら、あの人との会話で感じた疑問について考えを深めていく。
「社会的期待と本来の自分との乖離」
彼の言葉が的確すぎて、美咲は驚いていた。まさに自分が抱えている問題の核心を、彼は一言で言い当てていた。
古い教科書を読み返しながら、「やっぱりもっと深く学び直したい」という気持ちが湧いてくる。そういえば、ずっと読みたかった『幸福論』をまだ読んでいなかった。
ノートを取り出し、今日感じたことや考えたことを書き始める。大学時代以来の習慣だった。ペンを持つ手が震えるほど、書きたいことがあふれ出してくる。
「私は本当はどう生きたいのか?」
ページの真ん中に大きく書いた問いを見つめながら、美咲は深く息を吸った。この問いと向き合うことから、ずっと逃げていたのだ。
でも今夜は違う。逃げたくない。
時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。普段ならもう寝る準備をしている時間だが、今夜の美咲は眠くなかった。頭が冴えていて、もっと考えたい、もっと学びたいという欲求で満たされている。
翌朝、美咲はいつもより早く目覚めた。窓の外は薄っすらと明るくなり始めている。土曜日の朝の静寂の中で、昨夜の出来事が夢ではなかったことを確認するように、美咲は手に取った本を見つめた。
鏡の前に立ち、自分の顔を見つめる。昨夜と同じように、いつもとは違う自分がそこにいた。
「今日は本屋に行こう」
その決意は、自然に口から出た言葉だった。いつものように躊躇することなく、美咲は支度を始めた。
書店に向かう道すがら、美咲の心は軽やかだった。これまでなら「また変なことを考えてる」と自分を責めていたような思考が、今は楽しくて仕方がない。
書店に着くと、美咲は迷うことなく哲学書コーナーに向かった。いつものようにファッション誌売り場を気にすることもない。手に取った『幸福論』の重みが、妙に心地よかった。
レジで支払いをしながら、美咲は小さな達成感を覚えた。これは小さな一歩だけれど、確実に何かが変わり始めている。
家に帰ってから、美咲は読書に没頭した。本を読みながら、あの人の言葉について考える。彼の研究分野や人柄について想像する時間も増えた。
「今度会えたら、この本の感想を話してみたい」
そう思うと、胸がざわめいた。来週の金曜日まで待ち遠しい。でも同時に、再び会えるかどうかという不安もあった。
日曜日の夜、美咲は一週間を振り返っていた。月曜日から木曜日までの職場での出来事、編集長の言葉での落ち込み、そして金曜日の奇跡的な出会い。
鏡に向かって、美咲は静かに語りかけた。
「もう偽りの自分はやめたい」
その言葉には、これまでにない強さがあった。あの人に出会う前の美咲なら、「でも現実は厳しいから」と言い訳を並べていただろう。しかし今の美咲は違った。
職場での現実との間にまだギャップはある。それは明日からも続く問題だ。でも、少なくとも自分の心の中では、もう嘘をつきたくない。
「少しずつでも変わっていこう」
その決意を胸に、美咲は眠りについた。
月曜日の朝が来るのが、いつもほど憂鬱に感じられなかった。職場では相変わらず「女性らしい記事」を求められるだろう。でも、心の奥底では本当の自分を保ち続けよう。そして来週の金曜日には、またあの人と会えるかもしれない。
美咲の中で、長い間眠っていた本来の自分が静かに呼吸を始めていた。それはまだ小さな変化だったが、確実に彼女の人生を新しい方向へと導こうとしていた。
封印は解かれた。後戻りはできない。でも美咲は、それを心から望んでいた。