春の女神は夜明けに咲う(わらう)
第三章 画布に映す色
仄かな涼しい風と共に、外から聞こえてくる雲雀の囀りで、男は静かに目を覚ました。
一瞬見知らぬ天井のように思えたが、昨日出会った女子の家に泊まらせてもらったのだと、寝ぼけながら思い出し、のそのそと上体を起こす。
伸びをしながら何気なく横を見た直後、男は眠気が吹っ飛ぶ程に目を疑った。
そこには、床に入る時には無かったはずの布団一式。その中を覗くと、どこか安心しているような表情で、すうすうと寝息を立てている、この屋敷の主である女が眠っていたのである。
昨日は確かに別々の部屋で寝ようとしていたはずなのだが、わざわざ隣の部屋から布団を運んできたのだろうか?そんなことを考えながら彼女の寝顔を眺めていると、昨晩の出来事が思い起こされてほんのりと胸が温かくなる。
「可愛いな……」
男は思わず呟いた。
「んっ。んう……」
やがて、彼女も目覚めたのか、もぞもぞ身体を起こし始めた。布団にくるまりながらのその動きは、さながら芋虫のようで、男はふふっと笑ってしまう。
布団を着込むような姿でゆっくりと上体を起こすと、彼女も少し寝ぼけているのか、まどろんだ表情で辺りを見渡している。
やがて、隣の布団で座り込んで観察していた男と目が合った。
「おはようございます」
微笑みながら彼が声をかける。最初は眼前に座るその人を、首を傾げて目を細めながら見つめていたが、そのうち段々と目が見開いていき、ぶわっと頬が紅く染まった。
「お、おはようございます。すみません、早く起きて朝餉の準備をするつもりでしたのに、寝坊してしまいました」
言いながら布団に顔を埋めて、ぺこぺこと何度も頭を下げている女に対して、彼は、いいのですよ、と手で空気を撫でるように嗜める。
「すぐ準備して参りますね」
女はいそいそと布団を剥いで立ち上がり、てきぱきとそれを畳み始めた。が、本人は気づいていないようなのだが、寝ていたせいか胸元が少々肌けてしまっており、大きく動く度に今にも零れ落ちてしまいそうになってしまっていた。
それに気づいた男は頬を染めながらぎこちなくそっぽを向き、所在を探るかのように自分も布団を畳み始めた。
そのうち、背後から小さく「きゃっ」という驚いた声が聞こえてきたので、恐らく自分の無防備な胸元にようやく気づいたのだろう。男は内心ほっとしながら、その無防備さに妙な動悸を覚えて、なんとも複雑な気持ちになってしまっていた。
昨晩と同じく、厨房に入ろうとしても恐らく追い返されてしまいそうなので、なんとなしに男は縁側から外へ出て、朝の空気を感じながら身体を伸ばしていた。
鳥たちの戯れる声と共に、心地よい風が草木の匂いを運んできて、清々しい気分だ。
日が遠くの山から顔を覗かせて、まだ少し空が橙に染まっている中、男は昨晩のことを反芻する。
彼女の温もりや唇の柔らかさ、そして、払い除けられてしまった手の感触――そこまで考えて、清々しい気分から一転して男はしゃがみ込み、はぁと大きなため息を吐いた。
なんて不躾で無様なのだ自分は。あんなに健気な人を傷つけてしまうなんて……と、自らの頭を拳骨で軽く何度も叩いてしまう。
そのまましばらく座り込んでいたが、やがてすっくと立ち上がり、両頬を平手でぱんぱんと叩いて自らを戒める。そして、何かお礼やお詫びのために、一体自分には何が出来るのだろうと思考を巡らせた――。
しばらく考えていた男だったか、突然ぱっと晴れやかな表情になったかと思うと、軽やかに何度も屈伸し、身体を大きく伸ばし始めるのだった。
「私の姿を描きたい……と?」
男の提案に、思わず女は箸を止めて目を丸くさせる。
「はい、修行中の身であるとはお伝えしましたが……あなたのお姿を写せばきっとこれまでにないものが描けると思うのです。そして、是非それをあなたに贈りたい」
あまりに真っ直ぐ伝えてくれるので、その想いを無下にはしたくないのだが、如何せん女にとっては敷居が高すぎる申し出だった。
「私のような日陰の草を描いても仕様がありませんよ。もっと他に相応しい方がいらっしゃるはずです」
「そんなことありません!あなただからこそお願いしたいのです。あなたにしかない佇まいや雰囲気……その美しさに心を打たれたのは間違いありません」
彼の言葉に、不意を突かれてどきっと心臓が跳ね上がってしまう。
男の方は、恥ずかしさなどどこ吹く風か、自らの物言いの実直さに最早気づいていなかった。
「美しい、だなんて……。私には似合わない言葉です」
目を逸らし、胸元で手を握りながら苦々しく答える。
「何度でも言いたい。あなたは美しいです」
いくら否定しても食い下がられてしまい、どんどん頬が熱くなって動悸も激しくなっていく。ついには、身体を丸めながら、うぅ……と、言葉を詰まらせてしまった。
その様子を見て男は、はっと我に返った。
「あ……す、すみません。つい熱くなってしまった。困らせるつもりはなかったのです」
「大丈夫です。私を描きたい気持ちが、本当に真っ直ぐに伝わりましたので」
二人共、頬を真っ赤に染めて、視線を合わすことができず、俯きながらぺこぺこと頭を下げあった。
そして――しばしの沈黙の後、女が観念したように呟いた。
「……わかりました」
箸をそっと置きながら、男に向き直る。
「あなたの熱意にほだされました。私としても、あなたに是非描いていただきたく思います」
そういって、静々と両手をついて深く頭を下げた。男も慌てて向き直り、床に額がつきそうな勢いで深々と頭を垂れる。
「ありがとうございます。誠心誠意、描かせていただきます」
「よろしくお願い致します」
言葉を交わしてほんの少しの静寂の後、二人はほぼ同時に頭を上げた。丁度視線がかち合ってしまったので、お互いに少しびくっとしてしまう。その様が可笑しくて、男は頭を掻きながら、女は口元を抑えて、声を重ねて笑い合うのだった。
日が高くなり、陰影がくっきりと立つ縁側に、彼女は静かに座っていた。
男は庭の石に腰掛けて、女を一瞥する事なく、てきぱきと手早く画材を準備しているようだった。
「本当にこの格好でよろしいのですか?」
女は昨日と同じような、質素で飾り気のない格好だったので、少々困惑した様子で彼に尋ねた。
「むしろそのお姿が良いのです。ありのままのあなたを描きたいので。いや"描きたい"というより"残したい"という方が正しいかも」
男はそう言いながら慣れた様子で手を動かしていたが、ふとそれを止めてじっと彼女に視線を向ける。
それまで彼は全くこちらを向いてくれなかったので、女は突然の視線に少し目を泳がせてしまった。
「可憐だ」
そんな様子に見惚れながら、ぽろっと言葉を溢した。
「からかわないでください」
そう言って、頬を染めながらそっぽを向いてしまう。男はその様に優しく微笑んで、鉛筆を手に取った。
「そのまま、遠くの方を見ていてください」
「こうでしょうか?」
言われた通りにそのまま視線を遠くにむける。しかしその表情は、先ほどそっぽを向いた時のままだったので、心なしかツンと不機嫌そうな様子に見てとれた。
「仄かにむくれてる顔も絵に映したいくらい素敵です」
「もう、あまり仰らないでください。怒りますよ!」
男としては思ったことをそのまま口にしていただけだったが、彼女にとっては心を見透かされてるようにも思えて、顔を真っ赤にして彼にきっと鋭い視線を向けた。
「ごめんなさい、少し調子に乗りました……。でも、全て本心なのは間違いないです。ずっと見ていたいくらい」
本心なのはわかってます!……と言いかけたが、さすがに口を噤む。それよりも、正直最後の言葉が一番彼女にとって心にじんわりと沁み込んでいく気がした。
"美しい"だとか、"可憐"だとか、そういう言葉ではなくて、"ずっと見ていたい"……。その言葉を反芻していると、彼の真っ直ぐこちらを見る視線が、嬉しくて愛おしくて……。
なんとも言えない歯痒さで一瞬俯いてしまったが、すぐに彼の視線に応えるように向き直って、顔を綻ばせた。
その表情は、男にとってまるで、桜の花が芽吹いたような美しさだった。思わず見惚れながら、彼もまた、彼女に対する気持ちで顔を綻ばせ、互いを見つめ合っていた。
言葉は交わさなかったが、何かが通じあったのだろうか。女はその表情のまま、静かに遠くの方へと視線を移す。その姿を見て察した男は、キャンバスに向き直り、真剣な面持ちで鉛筆を走らせるのだった。
一面の青い空に日が少し傾きかけた頃、二人は縁側に座ってにぎり飯に舌鼓を打っていた。
朝餉を作る際、もしかしたら彼はそのまま旅立たれるかもしれない、と思いお弁当として作っておいたのだそうだ。梅干しの入った、ややしょっぱいにぎり飯を、男は嬉しそうに頬張っていた。
「しょっぱさが沁みますね。元気が出ますこれは」
「嬉しいです、そう言ってもらえて。作った甲斐があります」
本来男の分しか作っていなかったのだが、彼がご一緒にと言ってくれたので、三つあった内の一つをいただいて、一緒に並んで食べていた。
「じっと何もせず座っていて疲れますよね。大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありませんよ。真剣に描いているあなたの姿をまじまじと見れないのが少し残念ですが……」
心なしか踏み込んだ物言いに不意をつかれて、男はどきっとした。
当の本人は自覚が無いのか、気に留めずに言葉を続ける。
「どのくらいで描き上げられるものなのでしょうか?」
「あ、えっと……下描きを終えてこれから下塗りですから、明日になるかもしれません」
「なるほど……」
そう言って女は口を噤む。そして、ほんの少しの間を置いて、恥ずかしそうに視線を伏せながらまた言葉を紡いだ。
「……では、今日もお泊まりいただけるのですね」
ほんのりと笑みを浮かべながら、女は呟いた。
先程からなんとなく彼女の言葉が積極的なようにも感じてしまい、男は胸の中がきゅんと熱くなってしまう。
にぎり飯の最後の一口を口に放り込んで飲み込むと、徐ろにじっと彼女の瞳を見つめた。
「な、なんでしょうか……?」
既に食べ終えて静かに座っていた彼女は、男の視線に気づいて、おずおずと問いかける。が、彼は何も言わずじっと見つめてくるばかりだった。
女も、最初は戸惑って目を泳がせていたが、やがてその視線に応えるようにじっと見つめ返す。
そしてゆっくりと顔を近づけると、綿に触れるように唇を重ねた。
ほんの一瞬の触れ合いの後――互いの視線が鉢合わせ、思わず目を伏せて口を噤んでしまう。
「――こんなに明るい時間から……恥ずかしい、です」
女が困ったように溢した。
「ここでは二人きりですから……大丈夫ですよ」
「確かに……そう、ですね」
ふふ、と笑い合いながら、お互いに肩を寄せて、しばしの間身を委ねあった。
「続き、描きますか?」
「そうですね……日が落ちる前に進めちゃいましょうか!」
一瞬身を離すことを躊躇しかけたが、すぐに男は意気揚々と立ち上がり、画材の置いてある庭の片隅へと歩いていく。
女もその後ろ姿を見送った後、唇と肩に残るの彼の感触に思いを馳せつつ、改めて遠くを見つめるのだった。
一瞬見知らぬ天井のように思えたが、昨日出会った女子の家に泊まらせてもらったのだと、寝ぼけながら思い出し、のそのそと上体を起こす。
伸びをしながら何気なく横を見た直後、男は眠気が吹っ飛ぶ程に目を疑った。
そこには、床に入る時には無かったはずの布団一式。その中を覗くと、どこか安心しているような表情で、すうすうと寝息を立てている、この屋敷の主である女が眠っていたのである。
昨日は確かに別々の部屋で寝ようとしていたはずなのだが、わざわざ隣の部屋から布団を運んできたのだろうか?そんなことを考えながら彼女の寝顔を眺めていると、昨晩の出来事が思い起こされてほんのりと胸が温かくなる。
「可愛いな……」
男は思わず呟いた。
「んっ。んう……」
やがて、彼女も目覚めたのか、もぞもぞ身体を起こし始めた。布団にくるまりながらのその動きは、さながら芋虫のようで、男はふふっと笑ってしまう。
布団を着込むような姿でゆっくりと上体を起こすと、彼女も少し寝ぼけているのか、まどろんだ表情で辺りを見渡している。
やがて、隣の布団で座り込んで観察していた男と目が合った。
「おはようございます」
微笑みながら彼が声をかける。最初は眼前に座るその人を、首を傾げて目を細めながら見つめていたが、そのうち段々と目が見開いていき、ぶわっと頬が紅く染まった。
「お、おはようございます。すみません、早く起きて朝餉の準備をするつもりでしたのに、寝坊してしまいました」
言いながら布団に顔を埋めて、ぺこぺこと何度も頭を下げている女に対して、彼は、いいのですよ、と手で空気を撫でるように嗜める。
「すぐ準備して参りますね」
女はいそいそと布団を剥いで立ち上がり、てきぱきとそれを畳み始めた。が、本人は気づいていないようなのだが、寝ていたせいか胸元が少々肌けてしまっており、大きく動く度に今にも零れ落ちてしまいそうになってしまっていた。
それに気づいた男は頬を染めながらぎこちなくそっぽを向き、所在を探るかのように自分も布団を畳み始めた。
そのうち、背後から小さく「きゃっ」という驚いた声が聞こえてきたので、恐らく自分の無防備な胸元にようやく気づいたのだろう。男は内心ほっとしながら、その無防備さに妙な動悸を覚えて、なんとも複雑な気持ちになってしまっていた。
昨晩と同じく、厨房に入ろうとしても恐らく追い返されてしまいそうなので、なんとなしに男は縁側から外へ出て、朝の空気を感じながら身体を伸ばしていた。
鳥たちの戯れる声と共に、心地よい風が草木の匂いを運んできて、清々しい気分だ。
日が遠くの山から顔を覗かせて、まだ少し空が橙に染まっている中、男は昨晩のことを反芻する。
彼女の温もりや唇の柔らかさ、そして、払い除けられてしまった手の感触――そこまで考えて、清々しい気分から一転して男はしゃがみ込み、はぁと大きなため息を吐いた。
なんて不躾で無様なのだ自分は。あんなに健気な人を傷つけてしまうなんて……と、自らの頭を拳骨で軽く何度も叩いてしまう。
そのまましばらく座り込んでいたが、やがてすっくと立ち上がり、両頬を平手でぱんぱんと叩いて自らを戒める。そして、何かお礼やお詫びのために、一体自分には何が出来るのだろうと思考を巡らせた――。
しばらく考えていた男だったか、突然ぱっと晴れやかな表情になったかと思うと、軽やかに何度も屈伸し、身体を大きく伸ばし始めるのだった。
「私の姿を描きたい……と?」
男の提案に、思わず女は箸を止めて目を丸くさせる。
「はい、修行中の身であるとはお伝えしましたが……あなたのお姿を写せばきっとこれまでにないものが描けると思うのです。そして、是非それをあなたに贈りたい」
あまりに真っ直ぐ伝えてくれるので、その想いを無下にはしたくないのだが、如何せん女にとっては敷居が高すぎる申し出だった。
「私のような日陰の草を描いても仕様がありませんよ。もっと他に相応しい方がいらっしゃるはずです」
「そんなことありません!あなただからこそお願いしたいのです。あなたにしかない佇まいや雰囲気……その美しさに心を打たれたのは間違いありません」
彼の言葉に、不意を突かれてどきっと心臓が跳ね上がってしまう。
男の方は、恥ずかしさなどどこ吹く風か、自らの物言いの実直さに最早気づいていなかった。
「美しい、だなんて……。私には似合わない言葉です」
目を逸らし、胸元で手を握りながら苦々しく答える。
「何度でも言いたい。あなたは美しいです」
いくら否定しても食い下がられてしまい、どんどん頬が熱くなって動悸も激しくなっていく。ついには、身体を丸めながら、うぅ……と、言葉を詰まらせてしまった。
その様子を見て男は、はっと我に返った。
「あ……す、すみません。つい熱くなってしまった。困らせるつもりはなかったのです」
「大丈夫です。私を描きたい気持ちが、本当に真っ直ぐに伝わりましたので」
二人共、頬を真っ赤に染めて、視線を合わすことができず、俯きながらぺこぺこと頭を下げあった。
そして――しばしの沈黙の後、女が観念したように呟いた。
「……わかりました」
箸をそっと置きながら、男に向き直る。
「あなたの熱意にほだされました。私としても、あなたに是非描いていただきたく思います」
そういって、静々と両手をついて深く頭を下げた。男も慌てて向き直り、床に額がつきそうな勢いで深々と頭を垂れる。
「ありがとうございます。誠心誠意、描かせていただきます」
「よろしくお願い致します」
言葉を交わしてほんの少しの静寂の後、二人はほぼ同時に頭を上げた。丁度視線がかち合ってしまったので、お互いに少しびくっとしてしまう。その様が可笑しくて、男は頭を掻きながら、女は口元を抑えて、声を重ねて笑い合うのだった。
日が高くなり、陰影がくっきりと立つ縁側に、彼女は静かに座っていた。
男は庭の石に腰掛けて、女を一瞥する事なく、てきぱきと手早く画材を準備しているようだった。
「本当にこの格好でよろしいのですか?」
女は昨日と同じような、質素で飾り気のない格好だったので、少々困惑した様子で彼に尋ねた。
「むしろそのお姿が良いのです。ありのままのあなたを描きたいので。いや"描きたい"というより"残したい"という方が正しいかも」
男はそう言いながら慣れた様子で手を動かしていたが、ふとそれを止めてじっと彼女に視線を向ける。
それまで彼は全くこちらを向いてくれなかったので、女は突然の視線に少し目を泳がせてしまった。
「可憐だ」
そんな様子に見惚れながら、ぽろっと言葉を溢した。
「からかわないでください」
そう言って、頬を染めながらそっぽを向いてしまう。男はその様に優しく微笑んで、鉛筆を手に取った。
「そのまま、遠くの方を見ていてください」
「こうでしょうか?」
言われた通りにそのまま視線を遠くにむける。しかしその表情は、先ほどそっぽを向いた時のままだったので、心なしかツンと不機嫌そうな様子に見てとれた。
「仄かにむくれてる顔も絵に映したいくらい素敵です」
「もう、あまり仰らないでください。怒りますよ!」
男としては思ったことをそのまま口にしていただけだったが、彼女にとっては心を見透かされてるようにも思えて、顔を真っ赤にして彼にきっと鋭い視線を向けた。
「ごめんなさい、少し調子に乗りました……。でも、全て本心なのは間違いないです。ずっと見ていたいくらい」
本心なのはわかってます!……と言いかけたが、さすがに口を噤む。それよりも、正直最後の言葉が一番彼女にとって心にじんわりと沁み込んでいく気がした。
"美しい"だとか、"可憐"だとか、そういう言葉ではなくて、"ずっと見ていたい"……。その言葉を反芻していると、彼の真っ直ぐこちらを見る視線が、嬉しくて愛おしくて……。
なんとも言えない歯痒さで一瞬俯いてしまったが、すぐに彼の視線に応えるように向き直って、顔を綻ばせた。
その表情は、男にとってまるで、桜の花が芽吹いたような美しさだった。思わず見惚れながら、彼もまた、彼女に対する気持ちで顔を綻ばせ、互いを見つめ合っていた。
言葉は交わさなかったが、何かが通じあったのだろうか。女はその表情のまま、静かに遠くの方へと視線を移す。その姿を見て察した男は、キャンバスに向き直り、真剣な面持ちで鉛筆を走らせるのだった。
一面の青い空に日が少し傾きかけた頃、二人は縁側に座ってにぎり飯に舌鼓を打っていた。
朝餉を作る際、もしかしたら彼はそのまま旅立たれるかもしれない、と思いお弁当として作っておいたのだそうだ。梅干しの入った、ややしょっぱいにぎり飯を、男は嬉しそうに頬張っていた。
「しょっぱさが沁みますね。元気が出ますこれは」
「嬉しいです、そう言ってもらえて。作った甲斐があります」
本来男の分しか作っていなかったのだが、彼がご一緒にと言ってくれたので、三つあった内の一つをいただいて、一緒に並んで食べていた。
「じっと何もせず座っていて疲れますよね。大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありませんよ。真剣に描いているあなたの姿をまじまじと見れないのが少し残念ですが……」
心なしか踏み込んだ物言いに不意をつかれて、男はどきっとした。
当の本人は自覚が無いのか、気に留めずに言葉を続ける。
「どのくらいで描き上げられるものなのでしょうか?」
「あ、えっと……下描きを終えてこれから下塗りですから、明日になるかもしれません」
「なるほど……」
そう言って女は口を噤む。そして、ほんの少しの間を置いて、恥ずかしそうに視線を伏せながらまた言葉を紡いだ。
「……では、今日もお泊まりいただけるのですね」
ほんのりと笑みを浮かべながら、女は呟いた。
先程からなんとなく彼女の言葉が積極的なようにも感じてしまい、男は胸の中がきゅんと熱くなってしまう。
にぎり飯の最後の一口を口に放り込んで飲み込むと、徐ろにじっと彼女の瞳を見つめた。
「な、なんでしょうか……?」
既に食べ終えて静かに座っていた彼女は、男の視線に気づいて、おずおずと問いかける。が、彼は何も言わずじっと見つめてくるばかりだった。
女も、最初は戸惑って目を泳がせていたが、やがてその視線に応えるようにじっと見つめ返す。
そしてゆっくりと顔を近づけると、綿に触れるように唇を重ねた。
ほんの一瞬の触れ合いの後――互いの視線が鉢合わせ、思わず目を伏せて口を噤んでしまう。
「――こんなに明るい時間から……恥ずかしい、です」
女が困ったように溢した。
「ここでは二人きりですから……大丈夫ですよ」
「確かに……そう、ですね」
ふふ、と笑い合いながら、お互いに肩を寄せて、しばしの間身を委ねあった。
「続き、描きますか?」
「そうですね……日が落ちる前に進めちゃいましょうか!」
一瞬身を離すことを躊躇しかけたが、すぐに男は意気揚々と立ち上がり、画材の置いてある庭の片隅へと歩いていく。
女もその後ろ姿を見送った後、唇と肩に残るの彼の感触に思いを馳せつつ、改めて遠くを見つめるのだった。