拝啓、元婚約者様 捨てた私のことはお構いなく
 ヴァルは得意げに胸を叩くと、温泉のほうに手をかざす。すると、さきほどまでちょろちょろとしか湧き出ていなかったお湯の勢いが増した。

「ありがとう。大助かりよ」
「そうだろ? オイラ、役に立つんだぞ」

 ヴァルは鼻の下を人差し指で擦り、嬉しそうに笑う。
 その様子を見て、フィーヌもふふっと笑った。

 屋敷を去って一カ月が経ち、フィーヌはロサイダー領のはずれにあるレイクタウンという町にある、小さな宿屋で住み込みで働いていた。
 ロサイダー領を出ることも考えたのだが、彼との思い出の地に留まりたいという気持ちが湧いて出ることはできなかったのだ。

 どんどん沸いてくるお湯を眺めていると、不意に「フィーヌちゃん」と呼びかける声がした。
 
「お湯の調はどうだい?」
「たっぷり湧いてますよ」
「そりゃよかった。最近お湯の出がよくなって、嬉しいこったね」

 人の好い笑みを浮かべたのは、この旅館の女主人であるルイーダだ。
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