それが例え偽りの愛だとしても
「そうだ。一度会ってみるといい。」

父の言葉に、私は驚いて顔を上げた。

「……叶うんですか?」

縁談の相手と顔を合わせるなど、あり得ないと思っていた。

けれど父は、そのとき珍しく、ふっと優しく笑った。

「嫁ぐ前に、せめて一目見ておくのもいいだろう。」

その数日後、私は中林本邸の応接間にいた。

正妻とその娘の不在をいいことに、私はこっそり“正妻の娘”としてその場に通された。

やがて現れたのは、背の高い青年だった。

黒いスーツに身を包み、足音を響かせて入ってきたその人は、

はじめに深く一礼し、静かに名乗った。

「矢井田真人だ。……よろしく頼む。」

その人は凛としていて、隙がなく、無駄な言葉を口にしない。

目元は涼しく、唇には微かに笑みがあったが、どこか感情を読ませない。
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