組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
4.京介の家
 いつも車を運転してくれる若い男性――石矢(いしや)恭司(きょうじ)――の送迎でたどり着いたのは、いかにも高級そうな二十三階建てのタワーマンションだった。
 エントランス前にはホテルみたいに車寄せがあって、そこで京介とともに車を降りた芽生(めい)は、建物内に入るなり大理石が敷き詰められたエントランスホールに出迎えられて、その鏡面みたいにツヤツヤな床にただただ圧倒されてしまう。

「おかえりなさいませ、相良(さがら)さま」
「ただいま」
 これまたホテルのように自動ドアを通り抜けた正面にカウンターがあって、中にいた制服姿のコンシェルジュの美しい女性にペコリと頭を下げられた。
 慣れないことにあわあわする芽生の様子を見てククッと笑うと、「行くぞ」と京介が手を引いて歩き出す。
 エレベーターホールで京介がタッチパネルにカードキーをかざすとエレベーターのドアが開いた。箱へ乗り込むなり階数パネルに触れてもいないのに勝手にエレベーターが上昇を始めて驚かされてしまう。

「あ、あのっ、京ちゃん?」
 ソワソワしながら京介を見上げたら「行き先か? 二十一階だ」とサラリと返されて、『私が言いたいのはそこじゃなくて、行き先階を指定してないことだよ?』と問い掛けたかった芽生である。けれど、芽生の心配をよそに、エレベーターはなんの指示もしなくてもちゃんと目的の階で勝手に止まった。
 ドアが開くとちょっとした廊下があって、その先がすぐ玄関扉になっている。

「この階にゃー俺の部屋しかねぇから少々騒いでも平気だぞ?」
 とか。
 どうやら先ほどエレベーターに(かざ)した鍵は、この階に止まることを指定するものでもあったらしい。
 漫画や小説の中で時折見かけるお金持ち仕様のマンションなんかにある〝専用エレベーター付き物件〟というやつだろうか。

 芽生は改めてこんなすごいところに来てもよかったのか戸惑って、オロオロと京介を見つめたのだけれど。
「ま、遠慮せず入れ」
 京介はそんな芽生の緊張なんて意に介した風もなく、芽生の背中をそっと押すのだ。
 京介に(うなが)されるまま室内へ入った芽生の目の前には、だだっ広いLDK(リビングダイニングキッチン)が広がっていた。

「とりあえず風呂入ってこい」
 五十畳以上はあると思われる空間にただただ圧倒されて立ち尽くしていたら、いきなりそんなことを勧められて、芽生は思わず「えっ?」と聞き返してしまう。
「ほら、なんか《《色々におう》》だろ? サッパリしてきた方がお前も落ち着けるんじゃねぇか? 正直(ぶっちゃけ)俺もその方が有難(ありがて)ぇーし」
「え? なんで京ちゃんが有難がるの?」
「嫌だからだよ。下品な香水のにおいがお前からしてくんの」
(ね、京ちゃん、それって……どういう意味?)
 そう聞きたいのに、不機嫌そうに言い終えるなりスッと伸びてきた京介の手に、所在なく腕へ引っ掛けたままでいた買い物袋を取られた芽生は、そのつもりもないのに「あ、あのっ」と気持ちをそちらへ引っ張られてしまう。
 袋を手にした京介は、すぐさま中へ入った鍋焼きうどんに気が付いたみたいだ。

「子ヤギ、ひょっとして……夕飯(ゆうめし)まだなのか?」
 その言葉にうなずく芽生に、「中のモン、出すな?」と一応断りを入れた京介が、鍋焼きうどんセットを手に取った。
「風呂から上がってくる頃にゃ、食えるようにしといてやるよ」
 ニヤッと笑った京介の顔は思わず見惚れてしまうくらいかっこいい。
 でも――。

「あ、あの、京ちゃん。けど、私……着替えがない……」

 京介が言うように、身体中からはなんともいえない(いぶ)され(しゅう)――火災臭というらしい――と、細波(さざなみ)のキツイ香水の香りが混ざった嫌なにおいがしている。
 すぐにでも洗い流したいのはやまやまだけれど、せっかく身体を清めても風呂上がり、またこの服に(そで)を通したのでは台無しではないか。

「ああ、それなら心配すんな。ちゃんと手配済みだ」

 京介の言葉に芽生が「え?」とつぶやいたと同時、まるで見計らったようにチャイムが鳴った。
 京介がインターフォンに応じて操作すると、程なくして姿を現したのは京介の補佐役・千崎(せんざき)雄二(ゆうじ)だった。

 芽生は火災現場で迷惑を掛けたのみならず、京介の自宅にまで押し掛けていることを千崎から(とが)められやしないかとソワソワしたのだけれど、どうやら千崎も家を焼け出された芽生に対してそこまで非情ではないらしい。
「災難でしたね」
 淡々と告げられた言葉の中に、ほんの少し(いたわ)りの情を垣間見(かいまみ)た気がして、芽生は驚きのあまり大きく瞳を見開いた。そうしてすぐさま、千崎からの気遣いへの謝辞も述べられないことを叱られるかと構えたのだけれど、千崎は今の芽生にはそれすら求めていないらしい。ショックなことがあったから、お目こぼしいただけたという感じだろうか。

「カシラ、頼まれていたものです」
 言うことは言ったし……といったさま。もうキミに興味はありません、とばかりにスッと芽生から視線を外すと、千崎は京介に持っていた大きな紙袋を手渡した。
「おう、疲れてるトコ、悪かったな」
「まぁ、仕事ですから。――では、私はこれで」
 千崎が、用は済んだとばかりにやけにあっさり引き上げることに、芽生は正直驚いてしまう。

「あ、あのっ、千崎さん! 私、ここにいてもいいんです、か?」
 てっきり、何か釘を刺されたりお小言を言われたり……下手をすると『二人きりにするのは心配なので私もここで寝泊まりします』とか言い出されてしまうんじゃないかとすら思っていた芽生は、思わずそう問い掛けてしまったのだけれど。
「それを私に聞きますか? まぁ正直なところ、私としては付き合ってもいない男女がひとつ屋根の下とか……余り褒められた状況じゃないな、とは思っていますよ? 男と女である以上、どんなに言い訳をしても間違いが起こらないとは言い切れませんからね。それに……何しろ神田(かんだ)さんはカシラ好みの……」
 そこで芽生の胸元へちらりと視線を投げ掛けると、千崎は小さく咳払いをした。

「千崎、《《うちの娘》》をいやらしい目で見るな」
 そんな千崎を即座に牽制(けんせい)すると、京介が二人の間へスッと割り込んできた。
(京ちゃん、私、あなたの娘じゃないよ?)
 芽生は京介が告げた言葉の内容に、うるっと視界が水膜の向こう側へ霞むのを感じた。
 京介は芽生に背中を向けていて気付いていないだろうが、千崎は気付いていてそこには触れないでいてくれた。
 ややして、「本当カシラは神田さんのことになると過保護ですね」と呆れたようにつぶやいて会話の流れを一新してくれる。
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