私たちの関係は変わらないと思っていた。

「うう…頭痛い…」

目を覚ました綾香を襲ったのは激しい頭痛と吐き気。ベッドに寝ていたが、いつ帰ったのか全く覚えてない。辛うじてパジャマに着替えているが、顔がパリパリして突っ張っているので化粧は落としてないらしい。重たい身体を起こし、引き摺るように部屋を出て洗面所に向かった。洗面所でメイクを落としている綾香の後ろから母親の呆れた声が届いた。

「綾香、やっと起きたの?もう10時よ」

え、と綾香は驚く。時間を確認しないまま部屋を出てしまったからだ。そんなに寝ていたのか、そもそも何時に寝たかすら覚えていない。タオルで顔を拭いている間も母の小言は続く。

「あんた自分の飲める量くらい把握しておきなさいよ。足元覚束ないくらいべろべろに酔っ払って、大我くんがわざわざ送ってくれたんだから」

母の言葉に勢いよく顔を上げ後ろを振り向いた。

「それ…本当?」

「嘘吐いてどうすんのよ、大我くん綾香がお酒を飲み過ぎるのを止められなくてすみませんて謝ったのよ?本当に良い子過ぎるわ…後でメールでも何でも迷惑かけたこと謝っておきなさい。全く、いつまでも大我くんにべったりしていたら駄目よ。彼だって忙しいんだから」

母は言いたいことを言い終えると話題を変え「お母さんこれから出かけるわ。食べられそうならお粥作っておいたから食べなさいね」と言い残すと去って行った。

(送ってくれた?全く覚えてない…そもそも途中から記憶が)

ズキズキと痛む頭を抑えながら昨夜の記憶を探る。大我に恋愛遍歴を聞き出す勇気が出ず酒の力を借りて、聞くことには成功した。そこで辞めていれば良かったものの調子に乗った綾香はキスはしたのか、それ以上のことはしたのかと無神経にズカズカと尋ねてしまった。いくら幼馴染といっても許される範囲を超えている。怒ってもおかしくはなかったのに大我は話してくれた。大我は誰ともそういうことをしていない事実を知り喜んだ。気分が高揚したせいか、既に鈍くなっていた頭の動きが更に鈍くなっていき…そこから先何を話したのか思い出せない。モヤがかかっているかのようにぼんやりしている。何があって大我に家まで送ってもらったかも分からない。綾香は頭を抱えた。

(覚えている限りでも散々迷惑をかけたのに、あれ以上何をしたんだろう)

酔っ払った自分がどんな醜態を晒したのか想像しただけで恐ろしい。しかし、迷惑をかけたのは事実なので大我に連絡をしないといけない。気が重くなる。

(とりあえずシャワー浴びよう)

頭をスッキリさせるため、綾香は服を脱いで風呂場に入った。

シャワーを浴びた綾香はやはり二日酔い特有の気持ち悪さが残っていたので、母の作ってくれたお粥を少し食べると部屋に戻り、ベッドで横になる。幸い吐くほど気持ち悪くはないので寝ていれば良くなるだろう。

(私昨日何杯飲んだんだろう…やっぱり2杯くらいで辞めておくべきだね。大我くんにも迷惑かけたし)

そう、母に言われたからではないが大我に昨夜の謝罪をしなければいけない。メッセージよりは電話の方が良いと分かっているが、体調不良を理由に中々電話をかけられない。そもそも彼はシフト制なので今日は仕事だったと記憶している。やはり夜まで待つべきか、と問題を先延ばしにしてしまう。だが、延ばせば延ばすほど掛けづらくなるものだ。

(よし、今かけよう)

昼休憩を狙って電話をする。出なかったら謝罪のメッセージを送る、ということに決めスマホを耳に当てる。コール音が10回ほど聞こえると「仕事中か」と諦めて電話を切ろうとした時だった。

「もしもし…綾香?」

ギリギリのところで大我が出た。綾香の身体が緊張で強張り声も上擦った。

「う、うん。おはよう…って時間でもないけど。今休憩中?」

「そ。丁度これから昼飯、というかお前昨日あの後大丈夫だったのかよ。前後不覚で俺が支えないと歩けなかったんだぞ」

そんなに酷かったのか、と綾香の顔から血の気が引く。迷惑の上乗せがどこまで行くのか恐ろしくなってきた。

「あ…うん、ちょっと二日酔いっぽいけど寝てたら良くなったから」

「なら良いけど…あのさ、昨日のことなんだけど」

真剣な声色の大我がそう切り出した瞬間、綾香は反射的に謝った。

「昨日は本当にごめんなさい!恋愛遍歴聞いたこともだけど…キスしたのとかそれ以上のことしたかとかデリカシーのないことズカズカと…記憶が朧げなんだけど失礼なことばっかり聞いたのは覚えてるから…今度お詫びに何か奢るね…」

息継ぎをせず一気に捲し立てる綾香に電話の向こうの大我は口を挟まずにいた。そして綾香が言い終わるとポツリと一言。

「…記憶が朧げ?それマジ?」

「うん、途中から何喋ったのかすっぽり抜けてるんだ…」

スマホの向こうで大我が息を呑む気配がした。

「…俺にキス云々聞いたのは覚えてるんだよな、じゃあその後は」

「その後…私何か言った?」

大河の質問に答えると彼は黙ってしまった。綾香の緊張と焦りが最高潮に達する。

(え、何その反応。私相当やばいこと言った…?)

一体何を言ったのか、必死で記憶を辿り寄せようとするが残念ながら無駄だった。

「…あの、私何言ったの?本当に思い出せないんだ…教えて」

声を震わせながら綾香は大我に懇願する。出来れば聞きたくない、でも聞かないといけないという相反する感情が綾香の中で葛藤した。

「…別に変なことは言ってねぇよ。ただ恋愛経験なしでリアルなプロット作れる気がしない、疑似体験がしたいから付き合えとは言われた」

「…は?」

昨夜の自分、何変なことを頼んでいるのかと綾香は絶句する。

「疑似体験、とは…」

「デートしたり、会わない時も連絡取り合ったり。世のカップルがやってることを体験して作品に生かしたいって言ってたな、確か。綾香はこんなの頼める相手俺しか居ないって縋って、俺も休みに予定がある訳でもないからOKした。ここまで良いか?」

「良くないよ…え、何でそんな意味分かんない頼み受けちゃったの?」

「面白そうだから」

さらっと答える大我に文字通り綾香は頭を抱えた。

(は?つまり昨日の私、大我くんにカップルの真似事したいってお願いしたの?馬鹿なの?)

こんな面倒で大我に1ミリもメリットのない頼みを聞いてもらう訳にはいかない。無かったことにしてもらわなければ。

「あの、言い出しといて何だけど無しで」

「早速なんだけどさ、明日暇?」

綾香の言葉を遮り大我が質問を被せてきた。脈絡の無い質問に戸惑い聞き返す。

「明日…特に予定はないけど急にどうしたの」

「ん?デートするんだよ」

大我が何を言ってるのか一瞬分からなかった。言葉を噛み砕くのに5秒ほどかかり、理解した途端素っ頓狂な声を上げる。

「デ、デート⁉︎な、なんで」

「お前がカップルの擬似体験したいって言ったんだろ、本当忘れてるんだな」

呆れたように大我が笑った。いやいや、と綾香は慌てて言い募る。

「それは酔っ払いの戯言だからなかったことにしてくれて良いんだよ。お願いします無かったことに」

こんなくだらないことに大我を付き合わせることは出来ない、その一心で綾香は頼み込む。しかし大我から返ってきた答えは予想外だった。

「…何?綾香俺とデートするのそんなに嫌?」

ショックを受けたような大我の問いかけに綾香は言葉を失った。何故、そんな悲しそうな声をしているのか。綾香の戯言は迷惑でしかないはずなのに、分からなかった。

「嫌じゃ…ただ大我くん迷惑だと思って」

「迷惑なら最初から引き受けねぇよ、お前の方が嫌なんじゃないのか?勢いで言ってみたけどやっぱり無理だったって」

「…嫌じゃない、よ」

これは嘘偽りない本心だ。綾香の中にはずっと大我と恋人のように何処かに出かけたり過ごしたりしてみたいという願望があった。酒の力を借りた形になったものの、秘めていた願望が表に出ただけ。ここで無理だと逃げたら、綾香はずっと変われない臆病者のままだ。そんなのは絶対に嫌だったので、か細い声で確かに意思表示をした。スマホの向こうの大我がホッとした気配がする。

「そうか、じゃあ早速なんだが明日出かけるってことで良いよな。何処行きたいか希望あるか」

そこからは電話をかける前の緊張感は消え失せ、ポンポンと会話が弾む。取り敢えず明日は大我が気になっていた映画を見てショッピングをすることに決まった。

「言っとくけど俺にスマートなエスコートは期待すんなよ。何せ振られ続けた男だからな」

大我が堂々と言い放つ。話の内容は情けないものなのに自信満々な彼の態度のせいか、そんな要素は感じられない。綾香はクスリと笑う。

「私そういうのは期待してないから、安心してよ」

「…それはそれで何か複雑だな。あ、そうそう。俺シフト制で休みの曜日決まってないだろ。基本土日休みの綾香とは休みあんまり合わせらんないかもしれないわ」

今回は偶々大我が日曜休みだった。星の雫は水曜が定休日でそれ以外の休みは従業員が交代で取っているので、カレンダー通りの休みである綾香と休みを合わせるのは簡単ではない。

「そこは大丈夫だよ、分かってるから」

休みが合わせづらいカップルは沢山いる。そんな彼らも時間を作り、予定を合わせて上手く付き合いを続けているのだから不満は全くない。最も所詮真似事に付き合わせている立場で、不満を抱くなんて我儘だ。

「だから仕事帰りに飯行くとか、そういうのでも良いか」

大我は綾香の我儘にも譲歩して、提案してくれる。綾香は二つ返事で受け入れた。

「良いよ、恋人って仕事帰りに会うものなんでしょ?」

「じゃねぇの?」

素っ気なく大我が答える。綾香にとっては定期的に大我と確実に会える機会が出来ただけでも満足だった。

「俺飯食うから切るわ。二日酔いなんだろ?今日は大人しくしてろよ。もし明日も調子悪いなら延期するからちゃんと連絡しろよ、じゃあな」

こちらを気遣う言葉を残し大我は電話を切った。通話が切れた瞬間綾香は身体の力が抜けて、ベッドに倒れ込む。

(…急展開過ぎるけど、酔った私グッジョブ)

まさか大我と擬似体験とはいえデート出来るとは。今までは互いの目的に付き合うだけで、デートのような雰囲気は当然皆無。それを歯痒く感じつつも、その関係性を心地良く思い万が一にも気持ちを伝えることで、関係性が壊れるのを恐れていた。臆病な綾香は何も出来ずにいたのだ。

(これをきっかけに、ちょっとで良いから大我くんが私を異性として見てくれたりしないかな…望み薄だけど願うだけならタダだし…あ、明日何着て行こう)

普段大我と出かける時は気合を入れすぎないように気をつけて調整していたのだ。今回もその方向で行くつもりだったが、少しは冒険してみようという気にもなる。明日が楽しみで二日酔いの気持ち悪さは、もう気にならなくなっていた。

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