十六夜月のラブレター
定時になるとまだ仕事をしている入谷さんを置いて私は真っ先にオフィスを出た。

もし一緒に帰ったりするところなんて見られた日には、もうここにはいられない。

人の噂ほど怖いものはないのだから。

入谷さんに指定されたお店の近くのカフェで本を読んで過ごし、待ち合わせ時間の10分前にお店へ行った。

そこは日本家屋の高級そうな日本料理店で中に入るのも少し緊張した。

着物を着た仲居さんに案内されて料亭のような中庭を囲む回廊を歩く。

通された個室の部屋に入谷さんはもう来ていた。

「遅くなってすみません」

「遅くはなってないよ。俺が時間より早く来てるだけだから。コース料理でいい?」

何気なくお品書きを見て目の玉が飛び出そうになる。

夜の和食コース3万円~!!。

どうしよう。全財産投資で失敗している私にはとてもじゃないけれど支払いできない。

家賃と光熱費と食費も給料日まで残しておかなきゃ。

「あの、すみません。入谷さんの分だけ注文してもらうのは可能ですか? 私はお水でいいので」

「お水!?」

「ほら私、投資で失敗してるからお金ないんです。あ、でもこういう高級なお店だとお水も無料じゃないか……」

「心配しなくていいよ、最初から奢るつもりだったから」

「だって3万円ですよ!?」

「俺、君と違って投資で成功してるから金に余裕あるし」

返す言葉もないけれど、入谷さんがニヤニヤしながら意地悪そうに言ったので甘えることにした。

「ビールでいい?」

入谷さんは私の分のコースとビールも注文してくれた。
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