夜探偵事務所と八尺様
【鎮女村・調査】
北の地蔵の前で
二人はしばらく言葉を失っていた
17年前に空いた、結界の『穴』
そこから漏れ出した怨念が
今、日本中を恐怖に陥れている
夜:「……一応、東と南の地蔵も見て行きましょう」
健太:「はい」
二人は再び歩き始めた
舗装されていない山道
鳥の声と風の音だけが聞こえる
自然に囲まれた空気は
都会のそれとは比べ物にならないほど清々しい
健太:「夜さん」
夜:「ん?」
健太:「よだれ掛けが千切れただけで」
健太:「本当に結界に穴が空くんでしょうか?」
夜:「……いい質問ね」
夜:「普通なら、それだけで完全に封印が解けることはない」
夜:「お地蔵様本体が無事なら、結界の力は弱まりはしても、維持されるはずよ」
健太:「じゃあ、やっぱり、何か他に…」
夜:「ええ。何か、決定的な『何か』が、他にあるはず」
そんな会話をしながら歩いていると
登山道の入り口を示す、古い木の鳥居が見えてきた
その脇に、小さな祠(ほこら)が祀られている
東の地蔵だった
雨風から守るように、祠の中に安置された子供地蔵
その姿は、西の地蔵と同じく、穏やかで、何一つ異常はなかった
そして、二人は最後の目的地
南の地蔵へと向かう
だが、ここから道は、急に険しくなった
人の手が入らなくなって久しい、獣道だ
薄暗い杉林の中を
二人は進んでいく
苔むした岩
絡みつく木の根
歩きにくいなんてものではない
夜:「……おかしいわね」
夜:「東西北の地蔵は、ほぼ均等な間隔で置かれていた」
夜:「だとしたら、もうこの辺りにあるはずなんだけど…」
杉林を抜け、視界が少しだけ開けた場所に出る
だが、そこに地蔵の姿はなかった
健太:「夜さん!」
健太の声に、夜が駆けつける
彼が指差す先
そこには、苔むした、四角い石の土台だけが
地面に鎮座していた
かつて、ここに地蔵が置かれていたことを示す、唯一の痕跡
だが、子供地蔵そのものが、ない
土台がある場所の先は
まるで世界が終わるかのように
切り立った崖になっていた
遥か下には、川の激しい流れが見える
耳を澄ますと、ごう、という水音が聞こえてきた
二人は、一度山道を下り
崖の下へと続く、か細い吊り橋を渡った
そして、川岸まで降りていく
健太:「もし、ここから落とされたんだとしたら…」
川の中は
大小様々な岩が、ゴロゴロと転がっている
どれが地蔵の残骸で
どれが元々あった岩なのか
見分けなど、つくはずもなかった
二人は、ただ呆然と、その絶望的な光景を見つめる
だが、一つの事実だけは、はっきりと分かった
南の子供地蔵は
ただ、そこには『ない』