聖騎士様と始める異世界旅行事業 ~旅行会社の会社員でしたが異世界に転生したので起業します~
 ――え、ええ、ケルヴィンが笑った!?
 いつも表情を崩さない冷静な彼が声を出して笑っている。その姿にセシリーナは目を丸くした。彼は笑いすぎて目の端に涙がにじんでしまったらしく、目元を指先で拭っている。

「す、すみません、当時のお嬢様のことを思いだしたら傑作すぎて笑えてきてしまって」
「う、うん……」
「その没落貴族の令息に酷いことを言われたお嬢様は、その子どもに言い返すどころか『だったらその田舎者の辺境伯の娘の実力を見せてやるーっ』なんて言い放って、近くの草木に潜んでいた毛虫を素手でむんずとつかんだんです。それを相手に投げつけたんですよ!」
「毛虫……あれ、なんだか思いだしてきたかも?」

 当時おてんば娘で定評のあった自分。王都の貴族の令息様に向かってそんな失態をしてしまった気がする……?
 顔を青くしているセシリーナ。ケルヴィンは構うことなく楽しそうに続ける。

「それでですね、お嬢様ときたら命中率抜群で、その投げつけた毛虫がちょうど令息のお召し物の中に入ってしまったんです。それでもう大騒ぎになりまして……!」
「う、うわ、洋服の中に毛虫入っちゃったの!?」

 考えただけで……寒気がっ!

「お嬢様もそこまでは想定していなかったのか、半狂乱になっているその令息を大慌てで助けようとしたのです。ですがそのやり方がまた、その令息の服を遠慮なくめくってその毛虫を探し出そうとしたものでして」
「…………」
「今度はその令息が羞恥でついに泣き叫んでしまいましてね。止めるお嬢様の手を振り払ってその場から逃げるように去ってしまったんですよ」
「……なんと私、貴族のご令息の服を恥ずかしげもなくめくっていたのですね……」

 そりゃ、その男の子もいたたまれなくなってその場から逃げ出すわ。
 当時のやらかした思い出を話されて、セシリーナは両手で顔を覆う。ケルヴィンはそんなセシリーナを優しく見つめた。

「……それで、お嬢様とその令息の一部始終を外野で見つめていた私は、なんだか今まで自分が悩んでいたことが馬鹿らしくなってきましてね。気が晴れたとでも言えばいいのか」
「うん……」
「自分をいじめていたその令息を、お嬢様にこてんぱんにやっつけてもらったからかもしれません。言葉を選ばなければ、ああなんだあんなにも弱くて情けない男だったのかと吹っ切れたわけなんです」
「う、うん……」

 セシリーナはぎこちなく頷く。少なくとも自分の失態が当時のケルヴィンを勇気づけることができたのはわかった。
 ケルヴィンは、片眼鏡の奥から少し熱のこもった瞳でこちらを見つめる。

「そのときに私は決めたのです。今までは漠然と父の跡を継いで商人になろうと思っていたのですが、そうではなく伯父の跡を継ぎお嬢様の執事になろうと。貴方のためにすべてを尽くして生きていこうと決めたんです」

 強い光の宿った瞳で真っ直ぐに見つめられて、セシリーナは息を呑んだ。

(彼は、こんなにも私のことを大事にしてくれていたんだ……)

 きっかけはささいなものだったかもしれない。けれども彼の生きる道になったということなのだ。
 ケルヴィンは静かに目を閉じる。

「それからは大体お嬢様がご存知のとおりで、王立学園の初等科を中退した私は家庭教師を雇ってもらい、商学や経済学を学びながら魔法剣を会得しました。武芸に優れていなければお嬢様を不逞の輩からお守りできないと思ったもので」
「ああ、そのときにあの魔法剣を……」
「ええ。それと時期を同じくして、私はシュミット家の執事見習いとして奉公に出ましてお嬢様やアベルと過ごしてきたわけです」
「お、おお、ケルヴィンの経歴が繋がった……かも」

 わかりやすいお話に思わず拍手を送る。ケルヴィンが咳払いをした。

「……お嬢様、そういった経緯がありまして私はお嬢様に当時のご恩をお返しすべく貴方のためならなんでもさせていただきたいのです。ですから――」

 彼はそこまで言うと、照れてそっぽを向きながら片眼鏡を押し上げる。

「で、ですから、自分で申し上げていて恥ずかしくなってしまうのですが、これから先なにがあろうとも私は貴方の傍におります。貴方はひとりではない――いつでも私がお傍にいることを、どうか忘れないでください」

 心細いことがあればいつでも相談して頼ってくださいと、彼がはにかむ。その笑顔は、いつもの感情を抑えた顔ではなく、出会ったときに見た年相応の少年の表情だった。なんとなく二人の間に気恥ずかしい空気が流れる。セシリーナはなにか言おうと慌てて口を開く。

「あ、ありがとうございます。おかげで自分はひとりじゃないんだってわかって元気が出ました!」
「その意気です! この先、竜王に酷いことをされたら、あのとき令息にしたように毛虫の一匹でも投げつけてやればいいんですよ」

 ケルヴィンの冗談に、思わずセシリーナは小さく笑ってしまう。
(そうだ、私には頼りになる仲間たちがいてくれる。怖いことなんで、なにひとつない)

 ケルヴィンのおかげで、彼が淹れてくれたホットミルクの優しい甘さが、強張っていた心の奥までじんわりと沁み込んでいった。
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