残業以上恋未満
そうして迎えた、午後十時。
高松部長は、いつもと変わりなくやってきた。
「早河、お疲れ」
その昨日と変わらぬ高松部長の姿に、何故だか私は泣きそうになった。
もしかしたら、もう会えないかもって思っていたから。
高松部長は穏やかに微笑みながら、今日も私のデスクへとやってきた。
「た、高松、部長……、お、お疲れさまです」
自分でも信じられないくらいに情けない声だった。
そんな私の顔を高松部長は心配そうに覗き込む。
「早河?どうした?大丈夫か?体調でも悪いんじゃないか?」
触れてしまいそうな距離にいる高松部長は、たしかにいつも通りで、この人が亡くなっているなんてやっぱり信じられないと思ってしまう。
ここにいる高松部長は、幽霊ってこと……?
私達と変わらないその姿はどこからどう見ても生きている人間と同じだ。
私は大きく頭を振って、高松部長に精一杯の笑顔を向ける。
「あ、いえ!全然大丈夫です!いつも通り、とても元気です!」
私の言葉に、高松部長はやっぱり心配そうに私を見つめる。
「本当か?」
「本当に元気です!」
「あの早河が、今日はお菓子をつまみ食いしていないようだが……?」
「あ……」
高松部長のことで頭がいっぱいで、お菓子を摘まもうなんて気は一切湧かなかった。
私は慌ててデスクの一番下の引出しに手を掛けようとして、はっと思い至る。
「部長?あの早河、ってなんです?」
「あの早河はあの早河だ」
「具体的に言うと?」
「残業にかこつけて、夜な夜なお菓子を爆食いしている早河だ」
「爆食いはしていませんが?!」
私の反応に、高松部長は楽しそうに喉を鳴らす。
その笑顔に、私の胸がぎゅっとなる。
高松部長はほっとしたように表情を緩めた。
「よかった、いつもの早河だ」
目の前で穏やかに笑う高松部長は、やっぱり私の知っている優しい高松部長だった。
「お菓子を爆食いって……、部長、私にどんなイメージ持ってるんですか……」
「すまんすまん、冗談だよ」
いつもと同じようななんてことのない意味のない会話。
そのはずなのに、何故だか急にこの時間が愛おしくなった。
「で、本当のところは?」
「え?」
「なにか悩んでいたんじゃないのか?また行き詰ったのか?」
高松部長は優しい声音でそう心配してくれる。
「本当に、行き詰ったとかそういうんじゃないですよ。コンペの準備は順調で、昨日部長が私の商品を楽しみにしてるって言ってくれて、やる気ももりもりで……あれ……?」
ぱたっと、履いているスカートに染みができる。
その染みは一つ、二つと増えていく。
「早河?」
高松部長の心配そうな声色に、私はようやく自身の頬に涙が伝っていることに気が付いた。
「あれ……?」
「大丈夫か!?」
部長のおろおろと戸惑う声に顔を上げると、間近で部長と目が合った。
部長は私を優しく引き寄せると、ぎゅっと抱きしめてくれた。
その温もりがあまりに暖かくて心地よくて、やっぱり堂島部長の話は嘘だったんじゃないかって思った。
「高松部長、嘘ですよね……?」
「え……?」
「部長がもう亡くなっているなんて、嘘ですよね!?」