恋を知らない恋愛小説家は、イケメン担当者と疑似恋愛をする

きっと、これは

 月森さんと疑似恋愛を始めてから、私の小説は劇的に変わった。登場人物の些細な仕草や、視線の動き、心の揺れが、嘘みたいに生き生きと描けるようになったのだ。

 カフェだけでなく、水族館や映画館、時にはオフィスからの退勤なども、疑似恋愛の一環として協力してもらっている。
 
 その結果、元々定評はあったのだが、伸び方が恐ろしく違う。SNSでのトレンドに連日入るほどである。
 
「先生、すごいですね。もう僕が何も言わなくても、完璧な恋愛描写が書けてます」

 会社のオフィスで、月森さんは私の原稿を読みながら感嘆の声を上げた。以前は頭を抱えていたが、今は手放しで大絶賛だ。
 
「ありがとうございます…」
 
 でも、彼の言葉は素直に喜べない。なぜなら、そのすべての描写は、月森さんとの思い出をなぞったものだからだ。

 カフェでのデート、手をつないだ温かさ、笑顔と甘い視線。

 その1つ1つが、私の心を締め付ける。
 
 この恋は、取材のための嘘の恋。
 そう頭ではわかっているのに、私の気持ちはもう、とっくに月森さんに向かっている。
 
「先生、どうしました?なんだか元気がないですね」
 
 心配そうに覗き込んでくる月森さんの顔が、やけに近く感じる。彼の視線から逃げるように、私は机の上のパソコンに目を移した。
 
「いえ、そんなことないです!ただ、次の原稿の描写が少し難しくて…」
 
 そう言って、私は必死に誤魔化した。
 
「んー…どれどれ?」
 
 月森さんは、私の横に回り込み、パソコンの画面を覗き込んできた。ふわりと、彼の香水の匂いが漂ってくる。その香りは、あのデートの日と同じ匂いだ。
 
 胸の鼓動が、うるさく鳴り始める。原稿どころではない。
 
「この場面…主人公の葛藤がすごくリアルに伝わってきます。でも、ここからどう進めるか…ですね」
 
 月森さんの真剣な声が、私の耳に心地よく響く。でも、彼の言葉は頭に入ってこない。
 
(ああ、どうしよう…もう、月森さんのことしか考えられない…)

 「先生?」

 私が黙り込んでいると、月森さんは少し首を傾げた。そして、目の前のパソコンでに目を落とす。ちょうどカーソルがある場所を見て、小さく頷いた。

「ああ、この頭を撫でる描写ですかね?なかなか難しいですよね」
 
 そう言って、彼はパソコンの画面を指差した。どうすれば、読者が胸キュンするような描写が書けるのだろう。
 
「どうすれば、読者にドキドキしてもらえるんでしょうか…」
 
 私の素直な問いに月森さんは少し考え込んだ後、ニッコリと笑った。
 

「では、やってみましょうか」
「え?」
「失礼します」
 
 次の瞬間、月森さんの手が私の頭に、そっと触れた。
 
「どうですか?」
 
 髪を崩さないように、気を付けながら頭を撫でられる。
 
 ただの頭をポンポンされるだけの行為なのに、彼の手の温かさが、頭から全身にじんわりと広がる。心臓がドクドクと音を立て、顔に熱が集まってくる。
 
「先生?」
 
 月森さんの声が、耳元で優しく囁く。
 
 頭をポンポンされるたびに、彼の指先が私の髪をなぞるたびに、私の心は高鳴っていく。
 
 これが、リアルな頭を撫でられる感覚だ。
 
 何も言葉が出てこず、ただただ顔を赤くして固まることしかできない。
 
「この感覚を、そのまま小説に落とし込んでみてください」
 
 彼の言葉に、私は思わず頷く。
 
 月森さん。あなたは、私を『先生』と呼ぶけれど、あなたこそ私に恋を教えてくれる『先生』だ。

 この胸の高鳴りは、もう、疑似恋愛では片付けられないくらいに、本物になってしまっている。
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