亡国の聖女は氷帝に溺愛される
 ───落ちている。

 全身でそう感じたルーチェは、目を見開いた。

 風を切る感触を頬で感じながら、手を空へと伸ばす。

 そうしたところで、誰もこの手を掴まないのは分かっていた。この手を掴んで離さないでいてくれた人は、もういないのだ。

 ルーチェは守れなかった。この手を取り、隣で微笑んでいたあの人のことを。

(──ああ。わたしは──…)

 ほろほろと、涙がこぼれる。
 無色透明なその雫を置いていくように、ルーチェの身体は真っ逆さまに落ちていた。

 だけど、今は──今度は、ひとりではなかった。

「ルーチェ!目を閉じていろ!」

「ヴィルジール、さま……?」

 降下しているルーチェの身体は、ヴィルジールにしっかりと抱きしめられている。

 視界に映り込む銀色に、鼻を掠める彼の匂いに、ルーチェはまた涙をあふれさせた。

(わたし、わたしはっ……)

 落ちる瞬間、何をしたらよいのだろう。

 あの日、ルーチェは何をしたのだろう。何が起こって、真っさらな大地にひとりで倒れていたのだろうか。

 遠くなった空を吸い込まれるように見つめていると、ルーチェを抱きしめる腕の力が一層強くなった。

「──大丈夫だ。絶対に、守ってみせる」

『──大丈夫だ。絶対に、護ってみせる』

 ヴィルジールの声と、誰かの声が重なって聞こえる。

 決意を胸に、大いなる闇に立ち向かった者の声が。

(──いいえ、ヴィルジールさま。あなたはわたしが、守ってみせます)

 ルーチェは伸ばしていた手を、ヴィルジールの後頭部に添え、もう片方の手は背中に回した。

 そして、かの名を囁いた。
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