恋するだけでは、終われない / 悲しむだけでは、終わらせない

第八話


 ……いよいよ、この日がやってきた。

玲香(れいか)にしては、珍・し・い・ね!」
 手鏡でもう一度、前髪を直しているわたしに。
 うしろの列に座る姫妃(きき)が、肩に手をのせながら声をかけてくる。

「ちょっと気になっただけ」
 振り向かないまま、鏡越しにチラリと目を合わせて。
 いつもと変わらない声色を装い、返事をするけれど。
 姫妃にはとっくに、見抜かれているようで。

「ちゃんとわたしの、顔を見て」
 意地でもそうしろと、わたしに告げると。
「心配し・な・い。海原(うなはら)君がいるから大丈夫」
 そういって、ニコリとしてから。
 肩口をポンと、軽く叩いて励ましてくれた。


「……ふたりとも、きちんと座って待ちなさい」
 同じ列に座る月子(つきこ)が。
 いつもと変わらない声で、たしなめてくる。
「はいは〜い」
 姫妃がワザと答えても、反応しないのはいつものことで。
「まったく……」
 その小さなため息だって、よくあることだけれど。

 ただ、チラリと見えた月子の表情が。
 少し曇りがちなのはやはり。

 ……(すばる)君がまだ、この場にいないからなのだろう。



 放課後の社会科教室は。
 これまでにないほどの、熱気に包まれている。
 長い黒板を背に、二列に並ぶ『準備委員会』のわたしたちは。
 前列中央に、昴君のための席を空けていて。
 その両脇に月子とわたし。
 後列に陽子(ようこ)由衣(ゆい)、そして姫妃と並んでいる。

 長机を挟んで、対面して揃えられた座席は、『最前列』だけが空席で。
 二列目以降には、引退した各部活の元幹部たちが。
 すでにずらりと着席しており。
 そのうしろには、二年生の新部長や幹部たちが続々と集まっていて。
 参加者は優に、百人を超えている。

「なんだか、ワクワクしますね」
 うしろの列で、由衣が興奮気味に口にして。
「このあとが、楽しみ・だ・ね」
 姫妃の声には、余裕がある。
「ちょっと、まだだよ。まずはちゃんと決議がとおってから」
 ふたりの隣で、陽子が落ち着かせようとしているけれど。
 その声だってどこか、得意げだ。


 でも、そんな状況とは裏腹に。
 肝心の面々が、ここにはいない。

 しかも不在なのは、昴君だけではなくて。
 旗振り役でもあった、バレー部や柔道部の三年生の『大将』たち。
 さらには、実質的な『総大将』とでも呼ぶべき。
 美也(みや)ちゃんの不在も、含んでいて。

 ……要するに。
 主役たちがなぜか、この場に欠けている。

「まだ、予定時刻には。少し早いのよ」
 月子の言葉は、本当だ。
 でも昴君が普段、遅くなることはないし。
 なにより、先生たちに授業を途中から免除されて。
 放送室で、最後の打ち合わせをしていた途中で。
 昴君は、呼び出されて消えたまま。
 結局そのあと、戻ってこなかったのだから……。


「先生たちとの、打ち合わせかな?」
「そうね、玲香。海原くんの分もしっかり準備するわよ」
「アイツがいなくたって、ちゃんと準備くらいできますよ!」
「でもあとで、昴にサボるなっていわないとね〜」
「そうそう、海原君って。肝心なときに困る・よ・ね!」
 本当は、あのときから。
 なにかあるのかもしれないと。
 わたしたちは心のどこかで感じていたものの。

 それでも、昴君のために。
 美也ちゃんと、三年生、部長たち、先生たち。
 それに寺上(てらうえ)つぼみもいるから平気だと。
 不安を押し殺して、先にこの会場にやってきたのだ。

 教室の人たちは、そんなことなど知らないし。
 実際、由衣たちがテンションが上がって。
 わたしだって、どうにかなると思えるくらいは。
 社会科教室は、熱気にあふれている。
 でも、どれだけ強く、思っていても……。

 ……時計が、予定時刻を回ってしまった。


「ねぇ玲香。少し、開始が遅れると伝えてもらえる?」
「え、わたしなの?」
 月子にいわれて、思わず聞き返すと。
「当たり前でしょ。わたし、人前ではしゃべらないわよ」
 ブレない月子は、ある意味尊敬に値するけれど。
 あなた、それで本当に副委員長をやっていく気なのかと、聞きたくもなる。

「……あのね、玲香。それは別のこと」
「ごめん、まったく理解できない」
「玲香の緊張が、ほぐれればそれでいいだけよ。お願いするわ」

 なんだか、わかるようなわからないような。
 でも、月子なりの配慮なのかもしれないと。
 なんとか納得しようとして、わたしは。
 昴君の席に用意したマイクを手に取って。
「五分くらいかな?」
 念のため、月子に確認を取る。

 すると、そのとき。ようやく、前の扉から。
「お待たせ」
「あと二分だけ、待ってもらえるかな」
 マイクなしでも、十分な音量の声で。
 響子(きょうこ)先生と佳織(かおり)先生がいいながら、入室してきた。


 ただふたりは、いつもの隠したつもりのパンも持たず。
 大好きな笑顔とか、明るさとかとも無縁の表情をしていて。
 それ以上はなにもいわず、入り口近くの椅子に着席してしまうと。
 前列から次第に重たい空気が、流れはじめて。
 それがあっというまに、会場全体へと広がって。

 ……ついに静寂が、社会科教室全体を支配した。





 ……廊下に、海原くんの気配を感じたとき。

 本当は教室を飛び出して、すぐにでもその顔が見たかった。

「月子、どうしたの?」
「静かに、玲香。いまは動かないで」

 自分にいい聞かせるために、そう口にしたにも関わらず。
 玲香は、間髪入れず隣に移動してくると。
 わたしの手を、少し強く握りしめてきた。

 わたしが、不安だったからではない。

 海原くんが、再び心に傷を負ったのだと。
 ふたりとも直感的に、悟ったからだ。


「……みなさん。お待たせしまして、申し訳ございませんでした」
 入り口で一礼した、海原くんが。

 マイクなしでも十分聞こえる声で、話しだす。


「本日は、急遽校長も同席することになりました」

 その声は恐ろしいくらい、落ち着いているけれど。

 でも、その声には。



 ……苦しみと悲しみが、あふれていた。




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