恋するだけでは、終われない / 悲しむだけでは、終わらせない
第四話
中間試験前の、部活動中断期間が始まると。
放送室では連日『密か』に、勉強会が開催されている。
きょうも、通院中の波野先輩以外。
文化祭をもって一応引退した『はず』の都木先輩を含め。
部屋の中は当然満員御礼だ。
ちなみに放送『部員』は、基本真面目なのだが。
どうやらここには、『例外』が混在しているらしくて……。
……藤峰先生が、この日三回目の眠りに落ちた。
なんでも昨晩遅くまで、大好きなパンをテーマにした小説にハマってしまい。
結果興奮というか、お腹が空いて寝られなくて。
とにかく、大変だったそうだ。
そんな先生が、僕たちの勉強を邪魔しようと。
たびたび、船をこぐ。
一度目は、高嶺のノートの上に。
山積みのプリントが、一気に崩れ落ちた。
「あ、ごめんごめん!」
先生は、そういって。
「よし! もう寝ないよっ!」
ごく当たり前のことを、わざわざ宣言して作業に戻り。
「……わ、わたしのほうに移動しとくね!」
再度、先生とプリントが崩れ落ちて。
高嶺という猛獣の暴発を予感した先生、ではなくて春香先輩が。
プリントの山を、自分のほうへと引き受けた。
ただ、代わりに先生のティーソーサーとティーカップ。
それに通販で届いたばかりだという、なんだかサラサラしたジャムの瓶が。
アイツの隣に、移動した。
「ねぇ、なにか嫌な予感がするのだけれど……」
しばらくして、三藤先輩が。
僕にそっと耳打ちした、その瞬間。
「そこ! 私語禁止!」
玲香ちゃんが鋭く、僕たちに告げてきて。
「ふぇ? な、なにかいったぁ……?」
藤峰先生が、半分寝たまま口を動かしたせいで。
ほほづえをついていた、右腕が……。
竜胆色のティーソーサーの真上に、まるでスローモーションのように。
お、落ちていって……。
「あ、危ないっ!」
都木先輩が思わず、声を出したその瞬間。
突如として両目を大きく見開いた、先生が……。
「ロンドンで買った、お気に入りーっ!」
先生の、理性じゃなくて野生じゃなくて執念みたいなものが作動して。
その右腕を、ティーセットからはかろうじてそらせたものの。
虚しくも、サラサラジャムの瓶を直撃した。
「わたしのあかすももっ!」
いや、叫ぶのって。
ジャムの中身とかじゃ、ないですよね?
ただ、さすが元・伝説の放送部員というべきか。
微妙に発声しにくそうな言葉なのに、滑舌は抜群で。
「ぎゃ〜!」
そうそう。
残念ながら、悲劇はこれに終わらず。
先生が、慌てて手を伸ばしたもんだから……。
そのグーパンチが、高嶺の湯呑みを倒して。
お茶と、きちんと蓋していなかった大量の『赤すもも』ジャムが。
高嶺に向かって……。
盛大に、ぶちまけられた。
「なんでいつもいつも! わたしにばっかり、こぼすんですか!」
それからは、アイツが遠慮なしに吠え続けて。
藤峰先生が平謝り中の、そのあいだ。
高尾先生と春香先輩は、長机を掃除し。
三藤先輩は、スカートの洗濯とブラウスの染み抜きに向かうと。
玲香ちゃんは、その乾燥とアイロンを担当して。
都木先輩は湯呑みなど一式を、洗いに向かう。
そして、僕はといえば。
……コンビニスイーツの、買い出しにいかされた。
まぁ、アイツに着替えるから出ていけと。
僕がいわれるのは、仕方がない。
ただ、買い物に。いかされるまでのやり取りが。
な、なんというか……。
「迷惑料がわりに、お願いね」
高尾先生が、あとで藤峰先生に払わせるからと。
世間的には存在さえ忘れられていそうな、二千円札を渡してくる。
「あのね、海原君」
な、なんですか。その真剣な顔は?
「……全部、使い切らないでよ」
なんだ、そんなことか。
親友からの、金額回収が困難を極めるであろう。
それくらいは僕でも、理解していますんで……。
先生は、続いて。
「はい、エコバッグ」
トイレットペーパーが一巻き入るか微妙なサイズのものを、渡してきてから。
「アプリのクーポン、確認するね」
そういって、スマホの画面とにらめっこをしはじめる。
「えっ! 響子、海原君に自分のスマホ渡せるの?」
藤峰先生のツッコミに、いったいどんな意味があるのか。
スマホを持たない僕には最初、わからなかったけれど。
「えっ……どうしよう?」
「ど、どうしよう……」
都木先輩と、玲香ちゃんがなぜかモジモジしだして。
「えっ……アンタに、スマホ預けるってこと?」
高嶺が、勝手に妄想をしはじめる。
「……どういうことなの?」
「さぁ?」
三藤先輩と春香先輩は。僕と同じく、スマホを持たない派のため。
みんなが騒ぐポイントが、わからない。
「顔認証とか……登録するんですか?」
「ロック解除の番号、教えるのかな……」
「でもそしたら。メッセージとか、写真が勝手に……」
「響子の人生、フルオープンにするってことだよね……」
よ、よくわからないけれど。
なんだかとっても、おおごとみたいだから。
スマホを預かるのは、やめたいんですけど……?
そのあいだ高尾先生は、ずっと無言で固まっていて。
そもそも、頼んでもいないけれど。
僕のほうから。丁重に、お断りを入れようとしたところ。
「海原君。どうしよう……」
先生が思い詰めたような顔で、僕を見つめてくる。
「えっ……」
「わからないの!」
いや、悩まなくても。
僕、別にいらないんで……。
「そんな! こんなに『ドキドキ』してるのにっ!」
「え、ええっ……」
なぜだか、ものすごい緊迫した雰囲気が。
放送室内に充満して。
重い沈黙が数秒間、続いたあとで……。
……アプリのアップデート用の、パスワードがわからない。
「三回間違えたら、二段階認証設定とかあってね。とにかく一からやり直しなの!」
三でも、二でも、一でも。
スマホがなければ、悩まされたり。
さらには。
間違えないかと、『ドキドキ』する必要がないのだと。
僕はおかげで、賢くなれた。
……おまけに、アプリなるものは。人生を制限する。
「お願い……『アプリでお得』なのとか、買わないでね」
あとで、割引されていた商品だと知ってしまうと。
とっても損した気に、なるらしい。
まぁ、先生はすでに。
『これだけは忘れないで!』と。
ポイントカードにだって、縛られているんだ。
だからきっと、こうして人は。
……その自由を、奪われるのだ。
コンビニにいくことさえ、ほぼない僕は。
店内では、偶然いた同じクラスの女子に。
色々と買い物を、助けてもらった。
「一緒に勉強して、休憩のスイーツとか。仲がいいんだね」
「そ、そうなのかな?」
顧問がテスト勉強中に居眠りして、ジャムとお茶をぶちまけたお詫びだとは。
多分、いわないほうがいいのだろう。
違和感のある、会話だけれど。
まぁ細かいことは、気にしないでおこう。
なぜなら、僕の感じたそれは。
その子との『会話だけ』では、なかったのだから……。
……ほのかにジャムくさい、放送室に戻ると。
なぜか、波野先輩が。
わざわざ学校に戻ってきていた。
「あ、遅かったねー」
藤峰先生が、僕を見て。
先ほどまでの反省とは、完全に無縁の声でいう。
で、どうして。
ほかのみなさんは、僕に背を向けているんですか?
「ママがね、差し入れにってね!」
波野先輩が、からっぽのシュークリームの箱を。
わざわざ僕に見せてくれる。
近くでは、急いで食べ終えたらしい。
都木先輩と三藤先輩。それに玲香ちゃんが、なんだかせきこんでいる。
「……購入後三十分以内と、書いてあったのよ」
あの、三藤先輩。ほとんど、季節は冬ですよ。
そんなに律儀に守らなくても、平気なのでは?
「だから、わたしがアンタの分も食べてあげた!」
得意げな顔の高嶺に。
僕はもう、なにもいう気にならなくて……。
「スイーツ、全員分ありますよ……」
「おぉ〜!」
女子高生たちは、切り替えが早くて。
元・女子高生も含めてみんな。
甘いものは、別腹なのだと。
なんだか色々と学びの多い、一日となった。
……このとき、僕は。
クラスの女子の忠告に、ひとり感謝していた。
「あれ? まだひとつ足りなくない?」
うん、ありがとう。
数が足らなかったらきっと……。
僕はおやつを。
……二度も、食べ損ねるところだった。