恋するだけでは、終われない / 悲しむだけでは、終わらせない
第六話
……なぜかは、わからないけれど。
僕はひとりで、非常階段をのぼっていた。
二階を越えて、三階へ。
さらに上に向かって。
踊り場を、曲がると……。
「あっ」
「あら……」
誰もいないはずの、その場所では。
……三藤先輩が、たたずんでいた。
「ひ、ひとりなので。講堂の……」
「機器室の、掃除にいこうと思ったのだけれど……」
「その前に。ちょ、ちょっとだけ」
「よ、寄ってみただけ……なの」
「ぐ、偶然。ですね」
「……そうね、偶然よね」
「みんなと一緒にいったのだと、思っていました」
「女子会にはいけないから。どこかにいるのだろうと、思ったわ」
ふたりの会話が、つながると。
三藤先輩が、僕を見て。
少し首をかしげてから、ほほえんだ。
「相対的に考えて、わたしのほうが読みが深かったわね」
「……えっと。鍵を、開けましょうか」
先輩は、わざと僕が答えなかったことに。
気がついただろうか?
僕は、歴代の放送部長が預かるという。
非常階段から、屋上へ続く扉の鍵を手に取ると。
黒く、重い扉の鍵穴に。
そっとそれを、挿し入れる。
滅多に使わない鍵を、ゆっくり回し。手応えを感じてから。
もう一度そっと、穴から抜いて。
大きな扉が、きしまないように。
やさしく、扉を開けてから。
「お、お待たせしました」
そういって、ようやく先輩の顔を見たのだけれど。
……あれ? なんですか、その表情は?
「お、屋上。い、いかないんですか……?」
ここまできたのに、いかないなんて。
いったい、どうしたのだろう?
も、もしかして。
まだ『前』のことを……。
「はい、妄想ストップ」
「へ?」
「さっき海原くんが、わざと答えなかったから。お返ししただけよ」
「えっ、意地悪ですよそれ……」
「じゃあそっちも、そんなことしちゃダメじゃないかしら?」
「確かに……すいません……」
……もう、そこまで落ち込まないでよ!
なんだかんだ、いいながらも。
わたしは、ちゃんと小指を差し出している。
扉の先の、暗いところを抜けるあいだに。
つまずいたり、転ばないようしたりする。
でも、さすがに手をつなぐのは恥ずかしいから。
わたしはそっと、小指を出すの。
それから、海原くんは。
三本の指でそれを包んで、ゆっくり進むのだけれど。
そうやってたどり着いた屋上でも、その小指は……。
先に離すのは無しで、合っていたかしら?
すべては『いままで』と、同じことなのに。
なのにどうして海原くんは。
わたしの小指に、すぐ気がつかないのだろう……。
「し、失礼しました!」
思い出したように、わたしの小指を見つけて。
今度はうれしそうな顔をする海原くんに。
……本当は、聞きたいことがある。
ねぇ? 『このあいだ』は。
この先の暗闇を。
どうやって、抜けたのですか?
……暗闇の中で、わたしの小指をやさしく包む三本指に。
思わず少し、爪を立てると。
海原くんがなにかを、つぶやいた。
「いま、なんといったの?」
「知ってましたか? スマホって、懐中電灯機能があるんです」
「えっ……」
「僕たちは、ふたりとも持っていないので。ゆっくり進まないと……」
……答え合わせを、ありがとう。
海原くんは、文化祭の日。
わたしの許可なく、『美也ちゃんを』。
この屋上に、案内した。
……暗闇の中でも、懐中電灯があったのね。
それなら、海原くんはきっと。
美也ちゃんの指には、触れていないのだろう。
「スマホって、便利なのね」
安心したわたしが、思わず声に出しかけて。
ふと、気がついた。
……海原くん。
それをいま、この場でいうの?
わたしとふたりだけの。
おまけに暗闇の中で指を包んだ、この状況で?
やっぱり、完全には許さないでおこう。
そうよね、わざわざこんな場所で。
さらりと『このあいだ』の、話しをしないでよ!
なんだか、わたし。わがままなのかしら?
ただ、視界が開けたあとでわたしは……。
「ふたりでまた見られたから。許してあげます」
「……え? いまなにか、いいましたか?」
高い高い、大きな空に。
七色に輝く雲が広がっている。
「とっても、きれい……」
「はい。で、あの……。さっきなんていいました?」
そんなの、二度もいうわけないでしょ。
わたしの言葉を、聞き逃した海原くんが悪いのよ。
そう思うと、許すとか許さないも必要なくなった気がして。
わたしは、思わず。
「もう、許すのをやめます」
「へっ?」
「空に、流してあげる!」
少し大きく、声にした。
……驚きすぎて、小指を強く握られて。
でも、だからこそ。
そのあとにゆるめた、力の加減で。
海原くんの心の中が、よくわかった。
「美也ちゃんのこと。忘れてるのかと思ったら、結構気にしていたのね?」
「あ、当たり前です! あのときは、相当悩んだ結果の……って。イテッ!」
もう!
すぐ脱線して、『ほかの子』の話しをしないで欲しい。
だから、わがままなわたしは。
今度は、しっかりと爪を立てた。
痛いのなんて、当たり前。
少しは空気を、読みなさい!
「……あのね、海原くん」
「はい」
「少し、真面目な話しがあるの」
わたしの指を握る力が、また少しだけ強くなった。
でも、このときはわたしも。
小指に思わず、力が入った。
「……美也ちゃんに、聞かれたの」
「えっ! やっぱり前回の……」
「ち、違う。違うのよ!」
「あっ……」
慌てて、両手を振って否定したわたしが。
やさしく包んでくれていた指を、『また』先に。
外して、しまった……。
「い、いまのは事故! はい!」
思わず勢いで、急いで小指をまた出して。
自分でもなぜだか、耳が赤くなってきたのがわかってしまう……。
「はい!」
そのまま動けずに、とまっている海原くんに。
わたしは再度、早く握れと小指を突き出す。
「まったくもう……」
そういう自分が、落ち着かないと。
「仕切り直すから、覚悟して聞いて!」
「へ?」
「……じゃなくて。とりあえず、ちゃんと聞いて!」
あぁ……もう。
わたしがグダグダになってきた。
「……あの、三藤先輩」
「えっ?」
「もう一度空を見てから、どうぞ」
妙に、落ち着いた声がして。
思わず、海原くんの横顔を。まじまじと見つめてしまった。
この人は、本当に。
たまに、予想外のことを口にして。
そのたびに、わたしの心は……。
……ち、違う。
いまは。大切なことに、集中する時間なの。
そう思い直した、わたしは。
再度、空を見上げてから。
……静かに、ゆっくりと。
大切な話しがあると、海原くんに告げた。