フェアリーヤーンが紡いだ恋 〜A Love Spun with Fairy Yarn〜
一章:紡ぐ糸
 クリック……クリック……。
 
不定期にラップトップのマウスの音が、部屋に響く。

 土曜日の午後6時。9月に入ったばかりのこの時間の空はまだ明るいが、東側が少しずつオレンジ色に染まり始める頃。

 新條里桜(しんじょう・りお)・25歳が古いワンルームのアパートで真剣にスクリーンとにらめっこをしている。


 「う〜〜ん、どうしよう……悩んじゃう」


 画面には彼女のお気に入りハンドメイド小物販売サイト・Fairly Yarn(フェアリーヤーン)のクロシェバケットハットと、毛糸のカラーサンプルが映し出されていた。

 このタイプの帽子の基本料金は、メリノウールで数千円ほど。カスタムメイドでベビーアルパカ100%を使用すれば、さらに金額は上がる。

 慎重にそこに記されているお手入れ方法に目を通す。下には『クロシェバケットハットは通常、注文から発送まで二週間』と書かれている。

 わかったという意味でコクリとうなずき、再びカラーサンプルへと戻った。

 何度も見返しているが、彼女の心はすでに決まっている。少し贅沢をして、ベビーアルパカ100%の帽子をオーダーすることに。色はカフェオレブラウンに少し赤みを混ぜたキャラメルカラー。

 さらにオプションで、帽子本体とツバの間に手縫いの刺繍を入れてもらう。裏地は深みのあるワインレッド。

 里桜はマウスを動かし、カートのアイコンをクリックする。必要事項を記入し、カード番号を打ち込む。彼女はリピーターなので、個人情報はすでに登録済み。

 あとはこの『妖精へ注文を送る』のボタンを押すだけ……。だが、里桜にとってオプション付きの帽子は、ちょっとした大きな買い物だった。

 (い、いいよね? やっと奨学金も返済したし。少しくらい贅沢しても……いいよね?)

 マウスの矢印を『妖精へ注文を送る』にあてる手は、かすかに震えていた。まるでバンジージャンプで東京の高いタワーから飛び降りる直前のように。


 「うぅうぅぅぅぅ〜〜〜」


 片方の唇を噛み、思わず唸り声を小さくあげる。子供の頃から迷ったときに出る癖だ。

 その時、思わず力んでポチッと。


 「ああァァァ! お、押しちゃった……。
 ついに買ってしまったわ。
 や、やったー!!」


 戸惑いながらも嬉しい感情が大きく、少し震える両拳を軽く上げ、可愛らしくガッツポーズ。大学の奨学金100万円完済祝い。初めて『自分のため』にボーナスで購入した瞬間だった。

 この夏のボーナスで、里桜は二つの商品を購入予定。先ほどの帽子と、後ほどオーダーするカスタムメイドのシルクヤーンのストール。

 ストールはこのショップで一番高価な商品。お値段は軽く2万円を超える。



 画面をフェアリーヤーンのホームページに戻す。

 ショップのロゴマークは、毛糸玉を抱えた妖精の姿。横向きでピンクのワンピースを着ている。

 その下には、ショップオーナーからの一言メッセージが。


 『妖精が編み上げた魔法の糸で作る、あなただけの小物をお届けします』






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