義兄の愛に人生観を変えられ……

 デザイン部の皆さんは、それぞれが好きな服を自由に着ていて、個性的に見えた。
 私はいつも決められた緑系ばかり着ている。少しうらやましいかも。
 するとアシンメトリーにカットされた髪の毛におしゃれなパーマをかけて小さな丸メガネをかけた男性が近づいてくる。
「派遣の方ですね。今日からお世話になります。僕はここでデザイン部の部長をしている山川と申します。お世話になりますよろしくお願いしますね」
「浅田みどりと申します。よろしくお願いいたします」
 挨拶しているとものすごく強い視線を感じて何気なくそちらを向いた。
 そこにはサラサラの髪の毛と黒い瞳。
 背が高くて、薄い青色のシャツを着て、モデルかと思うほどの足の長い男性がこちらを見ていたのだ。
(え? 嘘! 何で亮太君がここにいるの? まぼろし?)
 まさかの再会に私は心臓の鼓動が早鐘を打つような感じがした。
 頭の中のネジがおかしくなってしまったのかも。
 こんなとこにいるはずがない!。
 動揺していると朝礼が始まった。
「派遣社員の浅田みどりさんです。三ヶ月という短い期間ですが繁忙期に手伝いに来ていただきました」
 山川部長が紹介してくれた。
「メインは久保君のサポートに入ってもらうからよろしくね。彼は去年北海道から転勤してきたばかりなんだけど、うちのエースなんだよ」
 紹介された久保君は、間違いなく血が繋がっていない私の兄の久保亮太だった。
「みどり……」
 亮太君は小さな声で私の名前を呟いた。
 誰にも気がつかれていないようだったので慌てて私は他人競技な挨拶をする。
「初めまして。お世話になりますがよろしくお願いします」
「あぁ……よろしく」
 まさか亮太君が『フューチャーネイチャー』で働いているなんて知らなかった。もし知っていたら派遣会社に企業名を聞いた時点で絶対に断っている。
 だって再会してしまったら封印していた気持ちが開いてしまったら困るから……
 動揺している心を周りで働いてる人は誰にもわからない。私は一人でドキドキしている。
 亮太君は昔からすごく素敵な人だったけど、大人になって社会人としていろいろ経験を重ねてきたのか、余裕ができてもっと魅力的になっていた。
 きっと素敵な彼女とかいるんだろうな……
 ついついそんなことを考えてしまう。今は仕事中だし余計なことを考えないようにしよう。
 頭の中がパニック状態でいると、山川部長が近づいてきてデスクの上に書類を置いた。
「この発注書をまとめてほしいんだがいいかな?」
 仕事の依頼をしてくれた。
「浅田さんは事務仕事が丁寧で早いと聞いていて期待していたんだ」
「ありがとうございます」
「あとデータ入力のお願いもしたくて、マニュアルは共有ファイルの中に入ってあるから確認してみて」
「わかりました」
 今は仕事に集中しなければ……!

 なんとか一日が終わり私はどっと疲れが出ていた。
 新しい派遣先に行く時はいつも緊張するものだが、亮太君のそばで働くというのはかなり衝撃が強い。
 三ヶ月だから頑張って働こう。
 あまり感情を動かさないように。私はAIだと言い聞かせるようにして……
「お疲れ様でした」
 正社員の皆さんが忙しそうにしているのを横目に、定時で上がらせてもらう。
 家に帰って小説を書きたいと思って、派遣社員という生活を選んだのに、文章を書くことをやっていなかった。
 母に言われた通り夢なんて追いかけるべきではなく、安定した生活を手に入れることが正しい道だと思えてならなかったのだ。
 一体私は何をやってるんだろう……
 そう思いながらエレベーターホールでエレベーターを待っていると足音が聞こえた。
「みどり」
 懐かしい声が鼓膜をくすぐる。
 私の小説をいつも楽しみに読んでくれて、すぐ隣に座って感想を言ってくれていた。
 過去の映像が頭の中でフラッシュバックし、切なさが胸の中を支配していく。
 振り返るとそこには亮太君が立っていた。
「職場でその呼び方は……やめてほしい……かな」
「ごめん。俺も仕事終わらせたから……一緒に帰ってもいいか?」
「うん……」
 私たちは住んでいるところもすごく近かった。
 会社からは時間ほど離れている。自宅の最寄り駅のそばにある小さな居酒屋でご飯を食べて帰ることにしたのだ。
「まさか、みどりが登場するなんて驚いたよ」
「私も。こんなことってあるんだね」
 ビールを飲んでいると、亮太君はテーブルに肘をついてじっと見つめてきた。
 視線が優しくて胸が締め付けられる。
 昔からそうだった。まるで親鳥のような瞳をしてこちらを見てくるのだ。
「何?」
「書いてんの?」
 小説だとすぐにわかったが、とぼけてみせる。
「食べていくだけで精一杯だし。もう夢を見ている年齢じゃないよ」
「年齢なんて関係ないし。八十代のおばあちゃんが、すごい画期的なアプリを開発したとかテレビで聞いたことない?」
「……あるけど」
 亮太君と一緒に過ごしていると、心を解放してもっと自由に生きてもいいんじゃないかなと思ってしまう。
 でも七年間連絡を取らなかったのは、やっぱり決められた道を歩かないと怖いと思ったからだ。
「お互いにも大人なんだからさ、何かに縛られて生きていくのはもういいんじゃないかな」
 何かというのは母親のこと。
 人のことを攻撃するのが嫌いな彼は、あえてこの言葉を選んだのだろう。
 穏やかで優しい人なのだ。
 一緒にいると彼のペースに飲み込まれてしまいそうになる。
 高校生だった頃、亮太君のことが好きでどうしようもなくて、悩んで、苦しんだのだ。
 その結果、交わることはしない人生にしようと決めたのだ・兄と妹のままでいるのが正しいに決まっていると……
「三ヶ月という短い時間なんだけど、よろしくお願いします」
「なんだか話をごまかされた気がするんだけど……。とりあえずよろしく。こんなに近くに住んでいるんだから、たまにご飯食べような」
 手を伸ばしてきて、頭をポンポンと撫でられた。
 私は肩をすくめた。
 胸のときめきが大きくなりすぎてそれを抑えようとしてしまうのか、頭を撫でられると無意識にやってしまう癖なのだ。
「昔から変わってないんだな……」
 綺麗な瞳に見つめられると吸い込まれてしまいそうになる。でもダメ。
 正しい道ではないのだから……

 仕事を始めて二週間が過ぎた。
 亮太君は、職場では会社の人という位置づけで接してくれている。
 スラッとした体型でスタイリッシュな彼は職場でとても人気があるようだった。
 休憩室でコーヒーを淹れていると綺麗な女性と亮太君が一緒に入ってきた。
「美味しいイタリアに一緒に行こうって約束したじゃないですかぁ」
「ごめん。急にパスタが食べたくなくなった」
「パスタだけがイタリアンじゃないですよぉ」
 相変わらず彼はモテモテだ。
 会話を聞かないようにしているのに、気になって仕方がない。
 学生時代も同じ高校に通っていたがとても人気があって、親同士が再婚したという噂が広まってしまうと「お兄ちゃんを紹介して」と何度も言われたことがある。
 そんなことを思い出しながら私は自分の部署に戻った。

 仕事はだんだんと慣れてきたが業務量がかなり多くて残業することもある。
 亮太君は、デザインのコンペがあるらしくかなり忙しそうだ。
 皆さんの力になることができればいいと思いながら働いていたのだが……
「浅田さん、これ発注数が間違ってるよ」
「え?」
 山川部長に指摘されて、慌てて確認するとゼロが一つ少なかった。
 今までの会社員人生で間違いを起こしたことなんて一度もなかった。
 派遣社員でいる私はいつでも会社から来られてしまう可能性があると常に緊張感を持って働いていた。だからミスなんて絶対にありえないことなのだ。
 それなのに単純なことでミスをしたことに驚きを隠せなかった。
「申し訳ありません。今すぐに修正いたします」
「それは当たり前のことなんだけど、いろいろと問題が起きてしまったから、会計課の誰かに手伝ってもらうようにお願いしてくる」
 ただでさえ忙しいのに山川部長は走って部屋を出て行く。
 時間が経過していくたびに、とんでもないことをやらかしてしまったという罪悪感が胸に積もって、手のひらがだんだんと冷たくなっていった。背中には汗が流れて気持ちを少しでも落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
「浅田さん」
 亮太君が心配そうに小さな声で名前を呼んだ。しかし返事する余裕もなく私はパソコンに目を向けたままひたすら伝票の修正をしていた。
「浅田……さん」
「ごめんなさい……」
「まずは目の前に集中」
「はい……」
 声をかけてもらったおかげで少し落ち着きを取り戻せたかもしれない。
 しばらくして、会計課の社員である女性が来てくれて、一緒に修正をしてくれた。
「本当にありがとうございました。申し訳ありませんでした」
「派遣社員のあなたにここまで負担をかけるなんて、会社としても考えなきゃいけないわね」
 ミスをしたというのに柔らかく笑ってくれた。
「確認のために、フルネームでサインしてくれる」
「分かりました」
 名前を書くと彼女は表情を緩めた。
「いつも緑色の服を着てるなぁと思っていたのよ。名前がみどりなのね」
「はい」
 悪い印象で覚えられてしまったよ……お母さん。
 私は心の中でそんな言葉をつぶやいていた。

 発注ミスのせいでクライアントへの納品が遅れるお詫びを山川部長が『丸く収めましたよ』と戻ってきた。
 私のせいで、デザイン部の皆さん、会計課の方、そして亮太君もやらなくていい仕事までやらせてしまい、本当に皆さんに申し訳なくてかなり落ち込んでしまった。
 完璧主義だった私。
 こうでなければならないと母親に叩き込まれ、まっすぐに道を歩んできた。
 派遣社員の私がミスをするなんて、もう明日からはここに来ることができないかもしれない。
 落ち込む気持ちを爆発させないように、ノートパソコンを持って人が少ないところに移動しよう。
 誰も使っていない机を見つけた。
 そこは死角になっていて個室のような気持ちを味わえるところだった。
 胸の中に溜まっている不安や、絶望、自分の不甲斐なさを吐き出すようにため息をついた。
「みどり」
 亮太君が声をかけてきた。しかも職場だというのに、下の名前で呼ぶのだ。
「お前は完璧主義だから。人間には失敗する時もあるさ」
 そう言ってまた私の頭をポンポンと撫でたのだ。
「切り替えることも大切だぞ。そんなお葬式みたいな顔するな」
 いつもこうして慰めてくれて、私は気持ちを切り替えることができた。
 結局私は亮太君がいなかったらダメなのかもしれない。
 落ち込んで自分の力で立ち上がることもできないのだ。
 本当に最悪。私ってどうしてこうなの?
 恋をしてはいけない人を好きになって、夢に向かうこともできなくて、自分のことが嫌になってしまう。
 イライラが爆発しそうになり撫でられた亮太君の手を払いのけた。
 初めてのことだったから、亮太君はすごく驚いているようだ。
「亮太君に慰めてもらわなくても、七年間、生きて来られたの!」
 唇を震わせながら、必死で言葉を吐く。
「……私の、人生に関わらないで」
 パソコンを閉じて、私はその場から姿を消した。
 苦しくてそこに留まっていることができず、部屋を出た。

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