指先から溢れる、隠れた本能。
第一章:偶然の距離と陽性反応


 朝のオフィス街は、まだ人影もまばらだった。ビルの谷間を縫うように差し込む朝陽が、アスファルトに淡い光の筋を刻んでいる。冷たい秋風が私の頬を撫で、肩を微かに震わせた。私はネイビーのコートをきゅっと握りしめ、会社の健康診断会場へと足を進めていた。首に巻いたマフラーの柔らかな感触が、わずかな安心を与えてくれる。


 「今回も、何事もありませんように」


 小さく呟くと、吐息が白く宙に溶けた。胸の奥でざわめく不安を抑え込むように、深呼吸を繰り返す。子供の頃から、病院や検査という言葉には特別な苦手意識があった。注射の針が皮膚に触れる瞬間、消毒液の鋭い匂い、検査結果を待つ間のあの重苦しい静寂──どれもが、私の心をざわつかせるものだった。今日はなぜか、いつも以上にその不安が膨らんでいる。まるで何か大きな出来事が待ち受けているかのような、得体の知れない予感が胸を締め付けた。


< 1 / 51 >

この作品をシェア

pagetop