旦那様は公安刑事

エピローグ 日常の奇跡

 春の風が、ベランダのカーテンを軽やかに揺らしていた。
 美緒はキッチンでコーヒーを淹れ、ふわりと広がる香りに目を細める。
 テーブルの上には、トーストとサラダ、それに昨日一緒に選んだ果物を添えた。

「できたよ」
 声を掛けると、シャツの袖をまくった悠真が新聞を畳み、椅子に腰を下ろす。
 数か月前までの彼は、家でもどこか遠い存在だった。けれど今は違う。
 その瞳には、公安刑事の冷たい光ではなく、ただ“夫”としての温もりが宿っていた。

「やっぱり、美緒の朝ごはんが一番だ」
 何気ない一言に、美緒は微笑む。
 特別な言葉ではない。だけど、その何気なさこそが、今は何よりも愛おしい。

     

 食事を終え、玄関で靴を履く悠真の背に、美緒はそっと声をかける。
「今日も……気をつけてね」
 彼は振り返り、柔らかな笑みを浮かべる。
「必ず帰ってくる。約束だ」

 差し出された大きな手を、美緒はぎゅっと握りしめた。
 国家の影に立ち向かう彼を支えられるのは、自分だけ。
 そう思えるようになったのは、あの嵐の夜を共に越えたからだ。

     

 扉が閉まり、静けさが戻る。
 けれど、その静けさはもう孤独ではなかった。
 彼と結んだ絆が、この部屋を温かく満たしているから。

 窓の外では、人々の笑い声と車の走行音が混ざり合っている。
 世界は今日も不安定で、明日どんな影が訪れるかは分からない。
 それでも、美緒は胸を張って言える。

 ――私には、帰ってくる人がいる。

 そして、その人を信じて「おかえりなさい」と笑える日常こそが、奇跡なのだと。

     

 新しい一日が始まる。
 それは、何よりも尊い“普通の朝”だった。
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