旦那様は公安刑事
第五章 不穏な影
秋めいた風が吹き抜ける夕暮れの街を、美緒はひとり歩いていた。
商店街で買った野菜やパンを紙袋に詰め、帰路を急ぐ。
ふとした瞬間、背後に気配を感じた。
カツ、カツ、と靴音。
最初は偶然だと思った。だが曲がり角をいくつ越えても、その足音は距離を保ったままついてくる。
――気のせい、よね。
自分にそう言い聞かせても、背筋に冷たいものが走る。
買い物袋を握る手に汗が滲む。
歩く速度を速めると、靴音もまた速まった。
マンションのエントランスに駆け込んだときには、心臓が破れそうなほど高鳴っていた。
恐る恐る振り返るが、そこに人影はない。
安堵と同時に膝から力が抜け、紙袋が床に落ちてしまった。
――考えすぎ……?
無理に笑みを浮かべて自分に言い聞かせる。
けれど、あの靴音の規則的な響きは、今も耳の奥に残っていた。
夜。帰宅した悠真に、美緒は意を決して切り出した。
「ねえ、今日……変な人につけられてる気がしたの」
彼の瞳が鋭く揺れる。
「詳しく話せ」
「ただの気のせいかもしれないけど……」
「いいから」
短く強い口調に、美緒は思わず肩を震わせる。
悠真は美緒の様子をじっと見つめ、そして深く息を吐いた。
「……何もなかったんだな?」
「うん。最後は、誰もいなかった」
安堵の影を浮かべつつも、悠真の眉間には深い皺が刻まれていた。
その表情がかえって不安を煽る。
「悠真……まさか、あなたの仕事と関係あるの?」
問いかけた瞬間、彼の顔に硬い影が落ちた。
「美緒、これ以上は詮索するな」
「でも――」
「いいか、今日は絶対に外に出るな」
有無を言わせぬ声に、美緒は口を閉ざした。
彼は普段、穏やかで優しい。
だからこそ、今の冷徹さが余計に恐ろしく感じられた。
翌日。
美緒は窓越しに外を眺めながら、落ち着かない時間を過ごしていた。
洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、向かいの路地に立つ一人の男と目が合った。
無精髭を生やし、暗い色のコートを羽織った男。
目が合うと、ゆっくりと背を向けて歩き去っていった。
心臓が跳ね、手にしていたシャツを落とす。
――やっぱり、気のせいなんかじゃなかった。
その瞬間、美緒の胸にひとつの確信が芽生えた。
これは、悠真の仕事と関係している。
彼が抱える「公安」という名の闇に、自分も巻き込まれ始めている。
夜遅く帰宅した悠真に、美緒は震える声で告げた。
「ねえ……もう隠さないで。何が起きてるの? わたし、狙われてるの?」
悠真の瞳に、一瞬だけ揺らぎが走った。
だがすぐに彼は顔を引き締め、低く言い放つ。
「美緒。約束しろ。絶対に俺の言うことを守れ」
「……答えてよ」
「守らなければ、君の命が危ない」
その言葉は、愛の告白よりも重たく、美緒の心に突き刺さった。
――本当に何かが起きている。
夫婦の亀裂は、いまや恐怖へと姿を変え始めていた。
商店街で買った野菜やパンを紙袋に詰め、帰路を急ぐ。
ふとした瞬間、背後に気配を感じた。
カツ、カツ、と靴音。
最初は偶然だと思った。だが曲がり角をいくつ越えても、その足音は距離を保ったままついてくる。
――気のせい、よね。
自分にそう言い聞かせても、背筋に冷たいものが走る。
買い物袋を握る手に汗が滲む。
歩く速度を速めると、靴音もまた速まった。
マンションのエントランスに駆け込んだときには、心臓が破れそうなほど高鳴っていた。
恐る恐る振り返るが、そこに人影はない。
安堵と同時に膝から力が抜け、紙袋が床に落ちてしまった。
――考えすぎ……?
無理に笑みを浮かべて自分に言い聞かせる。
けれど、あの靴音の規則的な響きは、今も耳の奥に残っていた。
夜。帰宅した悠真に、美緒は意を決して切り出した。
「ねえ、今日……変な人につけられてる気がしたの」
彼の瞳が鋭く揺れる。
「詳しく話せ」
「ただの気のせいかもしれないけど……」
「いいから」
短く強い口調に、美緒は思わず肩を震わせる。
悠真は美緒の様子をじっと見つめ、そして深く息を吐いた。
「……何もなかったんだな?」
「うん。最後は、誰もいなかった」
安堵の影を浮かべつつも、悠真の眉間には深い皺が刻まれていた。
その表情がかえって不安を煽る。
「悠真……まさか、あなたの仕事と関係あるの?」
問いかけた瞬間、彼の顔に硬い影が落ちた。
「美緒、これ以上は詮索するな」
「でも――」
「いいか、今日は絶対に外に出るな」
有無を言わせぬ声に、美緒は口を閉ざした。
彼は普段、穏やかで優しい。
だからこそ、今の冷徹さが余計に恐ろしく感じられた。
翌日。
美緒は窓越しに外を眺めながら、落ち着かない時間を過ごしていた。
洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、向かいの路地に立つ一人の男と目が合った。
無精髭を生やし、暗い色のコートを羽織った男。
目が合うと、ゆっくりと背を向けて歩き去っていった。
心臓が跳ね、手にしていたシャツを落とす。
――やっぱり、気のせいなんかじゃなかった。
その瞬間、美緒の胸にひとつの確信が芽生えた。
これは、悠真の仕事と関係している。
彼が抱える「公安」という名の闇に、自分も巻き込まれ始めている。
夜遅く帰宅した悠真に、美緒は震える声で告げた。
「ねえ……もう隠さないで。何が起きてるの? わたし、狙われてるの?」
悠真の瞳に、一瞬だけ揺らぎが走った。
だがすぐに彼は顔を引き締め、低く言い放つ。
「美緒。約束しろ。絶対に俺の言うことを守れ」
「……答えてよ」
「守らなければ、君の命が危ない」
その言葉は、愛の告白よりも重たく、美緒の心に突き刺さった。
――本当に何かが起きている。
夫婦の亀裂は、いまや恐怖へと姿を変え始めていた。