旦那様は公安刑事

第八章 命懸けの救出

 夜の街は、雨に濡れて静かに光っていた。
 マンションに戻ってから数日、美緒は外出を控えるようにしていた。悠真の指示どおり、ひとりで出歩かず、買い物も宅配に頼って。
 それでも、不安は日に日に濃くなっていく。窓の外の影が揺れるだけで、心臓が跳ねた。

 ――普通の生活に戻りたい。
 そう願った矢先だった。

     

 夕方。宅配業者を装った男がインターホンを押した。
「お届け物でーす」
 ドアスコープに映る制服姿に、美緒は疑わなかった。
 チェーンを掛けたままドアを開けた瞬間、強引に押し破られる。

「……っ!」
 悲鳴を上げるより早く、腕を掴まれ口を塞がれた。
 視界が揺れ、床に落ちた携帯が小さく光を放つ。
 最後に思ったのは――悠真、ごめん。

     

 気がついたとき、美緒は薄暗い倉庫の中にいた。
 両手を後ろで縛られ、口元には布。
 湿ったコンクリートの匂いと、冷たい空気が肌を刺す。

「旦那が公安だってのは知ってる。お前を餌にすれば、あいつも出てくる」
 男の低い声が響く。
 恐怖に震える美緒の胸に、絶望の波が押し寄せた。

     

 一方その頃。
 悠真は現場に急行していた。
 無線から流れる情報を聞きながら、ハンドルを握る手が血が滲むほど強くなる。

「美緒を人質に……絶対に許さない」

 公安刑事の冷静さを保たねばならないと分かっていた。
 だが今夜ばかりは、ただの「夫」として妻を取り戻す覚悟しかなかった。

     

 倉庫の扉が破られたのは、それから間もなくのことだった。
 黒い防弾ベストに身を包んだ悠真が、仲間と共に突入する。

「手を放せ!」
 鋭い声と同時に、閃光弾が光り、爆音が響く。
 敵の男たちが怯んだ隙に、悠真は一直線に美緒のもとへ駆け寄った。

「美緒!」
 縄を切り、布を外す。その腕に抱きしめられた瞬間、美緒は堰を切ったように涙を流した。

「遅い……っ、遅いよ……!」
「すまない。でも、必ず助けに来るって決めてた」

 背後で銃声が鳴り、怒号が飛び交う。
 悠真は美緒を庇い、盾のように立ちはだかる。
 その姿は、愛する人を守るただひとりの男の姿だった。

     

 やがて組織の男たちは制圧され、倉庫に静寂が戻った。
 外へ出ると、夜風が冷たく頬を撫でる。
 救出の安堵に震える美緒を、悠真は強く抱きしめた。

「もう離さない。何があっても、絶対に守る」
「……怖かった。でも、あなたが来てくれるって信じてた」

 涙で濡れた顔を見つめ、悠真は深く唇を寄せた。
 その瞬間、美緒は理解した。
 ――どんなに恐ろしくても、この人となら前へ進める。

     

 だが戦いは終わったわけではなかった。
 組織の背後には、まだ巨大な影が潜んでいる。
 ふたりの愛が試されるのは、むしろこれからなのだ。
< 8 / 13 >

この作品をシェア

pagetop