黒き噂の辣腕社長は強がり契約妻に生涯愛を絶やさない
* * *

 よみがえった羞恥心を振り払うように、姿見に向ける視線を鋭くする。
 悔しいが彼の見立てたこのワンピースは、自分でも似合っていると思う。

「そろそろ行かないと」

 チラッと時計を見て、思いの外時間が過ぎていたことに気づく。慌てて部屋を出ると、すでに準備を済ませた光毅さんが待っていた。

「よく似合ってるよ、依都」

「あ、ありがとう」

 女性をさらりと褒められてしまうなんて気障だと思うのに、それが様になっているところが憎らしい。

 彼の運転で、久しぶりに温泉街へ向かう。
 私が生まれ育った実家はもう取り壊されており、あの場所を訪れる理由がなくなってしまった。もう数カ月訪れていないが、ずいぶん印象が変わっているかもしれない。

 それでも糸貫庵はあの場所にそのまま存在しているのだと思うと、暗い気持ちにはならなかった。

 光毅さんと取り留めもない話をしているうちに、気づけば見慣れた田舎の風景が見えてきた。
 この光景を目にするたびに、以前は帰ってきたのだとほっとしていた。

 でもその感覚は、足が遠のくにつれて薄れつつある。
 彼との結婚は期限付きのものだとわかっているのに、ふたりが暮らすマンションが私の帰る場所になっていたのだと強く実感させられる。こんなつもりではなかったのにと、私はもうずっと後悔を募らせてきた。
< 139 / 178 >

この作品をシェア

pagetop