[完結]夫の心に住んでいるのは私以外の女性でした 〜さよならは私からいたしますのでご安心下さい〜

第48話

二週間後、マシュー様が王都から帰って来た。

「いやぁ……随分と酷い天気になりました」
外は土砂降りの雨だ。

「この中、隣国へ帰るのは危険ですわ。今日はお泊りになっては?」

「そうですか?では……お言葉に甘えさせていただきます」

マシュー様は申し訳なさそうに、頭を掻いた。


「え?今日はまだ帰らなくて良いの?」
メリッサ様は喜んだ。当然ジュディーも喜んでいる。

「すぐに客間を用意させますわ」

「いやそれは申し訳ない。メリッサと同じ部屋で良いですよ」

「え!嫌よ!」
マシュー様の提案はメリッサ様によってあっさりと却下された。

「マシュー様、メリッサ様はもう立派な淑女ですよ?」

「そうよ!おじさんなんかと一緒の部屋なんて嫌!」

マシュー様もメリッサ様にかかれば形無しだ。

夕食は私、ジュディー、サミュエル、メリッサ様、マシュー様と賑やかなものとなった。

ジュディーも楽しいのか、いつもよりもよく食べた。

「今日はジュディーと一緒に寝てもいい?」
というメリッサ様に、マシュー様は一言、

「なら私がお前と一緒の部屋で良かっただろう……」
と呟いた。

サミュエルもマシュー様と仕事の話をしている。父が亡くなった時、寂しくて私の胸で泣いていた子がもう十三歳だ。
皆が笑顔で夕食を口にしている。賑やかな食卓。
それなのに私は言葉に出来ない寂しさを感じていた。彼が此処にいない……それが酷く寂しい。皆の笑い声が遠くに聞こえる。私は大勢の中でも孤独を感じていた。



「お酒でも飲みませんか?」
ジュディーとメリッサ様が寝付いた事を確認して、私は静かに部屋の扉を閉めた。廊下に出た私に、マシュー様がそう声を描ける。

「少しなら。あまり強くありませんので」

私はマシュー様とサロンに向かう。サロンの大きな窓に吹き付けられた雨粒が音を立てていた。

「雨……明日には止みますかね」

「あまりにも酷い様でしたら、明日もお泊りになっては?サミュエルもマシュー様とのお喋りが楽しいようでしたし」

私はマシュー様のグラスにワインを注いだ。二人でカチンとグラスを合わせると、マシュー様は一口ワインを飲んで『美味い』と頷いた。

「実は……王都で噂を聞いたんですが……」
マシュー様が徐ろに口を開く。

「噂?」

「グラディスの事です。あの女は王都から姿を消しました」

「姿を消した……?何処に?」

「分かりません。結局……ガーフィールド伯爵とは再婚しなかったんですね。あの夜会で私が『父を殺した』などと口にしたので当然かもしれませんが」

それは私も聞いていた。王都に居るご夫人達の話だとパメラの借金の件が片付いてからは二人で夜会に現れる事もなくなったという。
あの夜会の時のグラディスさんの発した『約束』の言葉。あれはパメラの借金を盾にグラディスさんがジョージに強いていた事を指していた様だ。

「そのようです。私も人伝に聞いただけですけど」

「どうもグラディスはガーフィールド伯爵にふられた後、ある男娼に入れあげて……騙されたらしいです」

「騙された?!」

「まぁ……金を巻き上げられたって事です。確認の為に王都の屋敷も見に行きましたが、その男と、違う女が住んでました」

「じゃあ……グラディスさんは何処に……?」

「さぁ……?まぁ、興味はありませんが……またうちに変に絡まれても困りますから、一応探そうと思います」

「メリッサ様に影響が無ければ良いのですが……」

「寄宿学校には一応伝えておきますが、どうかこの事はメリッサには……」

「もちろん口にはしません」
私がそう言うとマシュー様はホッとした様に頷いた。

「そう言えば、王都でもう一つ面白い話を聞きました。成人の年齢が引き下げになるらしいですね」

「そうらしいですわ。来年から成人の年齢が十五歳に」

「サミュエル様が成人になるのに後……二年ですか。アンドレイニ伯爵位はどうされるおつもりで?」

「……私は譲るつもりでおります。サミュエルもやる気になっていますし。ただ、学園には通いながらとなると、王都に屋敷を構える必要がありますが」

「キルステン様の時は?」

「私は寮で暮らしておりましたの。週末の度に領地へ戻っていたんですけど」

「なるほど。では……そうなったらキルステン様は?」

「私はサミュエルの補佐をしながら、母とジュディーとのんびりと過ごしますわ。サミュエルが領地に戻れば……何処かに離れでも建ててそこに引っ込みます」

「そうですか……他の道は考えた事はありませんか?」

急にマシュー様が姿勢を正す。

「他の道ですか?」

「はい。……私との結婚なんて道はどうでしょう」

私とマシュー様の間に沈黙が落ちる。雨の音だけがサロンの私達を包んでいた。




「ごめんなさい」
私は頭を下げた。

「やはりまだ忘れられませんか……」
マシュー様は椅子の背もたれに思いっきり寄りかかって天井を見上げ大きく息を吐き出した。

「まだ……ではなく、ずっと、です。いえ……そうじゃなくて……忘れるつもりはありません」

「まぁ……分かってましたけどね」
マシュー様はそう言って苦笑いした。その顔には既に諦めの文字が浮かんでいる。

「メリッサ様の為ですか?」

「どうしてそう思うんです?私がキルステン様を愛しているとは思えませんか?」

「そうですね……。マシュー様が大切にされているのはメリッサ様だと分かっていますから」

メリッサ様が母親を求めているのは、私も薄々感じていた。違う国とはいえ、身近にいる私にそういう感情を持つ事は別に珍しい事ではない。

そう微笑む私に、マシュー様は少し不服そうにする。

「少なくとも好きじゃない相手にプロポーズしませんよ」

「マシュー様の信頼に値する人間だと思われている事は光栄に思います。でもそれは男女のそれではないと思ってます」

「ハハハ。お見通しって訳ですか……。正直、私はあんまり他人を信用していません。特に女性は。商売柄色んな人を見てきたからですかね……一種の職業病かもしれない。しかし貴女は別だ。成金、成金と言われていても気にしていないつもりでしたが、貴女に卑屈になるなと言われてハッとしました。才能だと言われて嬉しかった事も確かですよ」

「私もマシュー様には何度も助けていただきましたから。お互い様です」

するとマシュー様は微笑んで私にサッと手を出した。その笑顔はとても飾り気のないものだ。

「これからも良き友人で居てくれますか?」

「もちろんですわ」
私は迷わずその手を取り握手した。私も大切な友人を失わずに済んだ事にホッとする。しかしマシュー様は、

「ふられたって言ったらメリッサに怒られるかな……」
と呟いた。


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