皆に優しい幸崎さんは、今日も「じゃない方」の私に優しい

「じゃない方の佐倉」

 照明の光が明るく降り注ぐオフィスフロアの一角、営業部のエリアは今日もキーボードを叩く軽快な音や活発な議論の声で賑やかだ。
 そんな中、一人黙々と作業していた私の手元にふと影が差した。

「佐倉さん、お疲れ様。これ、さっき届いた打ち合わせ資料の最終版なんだけど、見積に反映してもらえるかな?」

 すらりと伸びた指先で書類を示す、柔らかな微笑みを浮かべた男性は、営業部のエースである幸崎さんだ。彼の姿を認めた瞬間、私の胸はトクンと小さく波打った。

「さ、幸崎さん。資料ありがとうございます!」

 慌てて立ち上がって礼を言うと、幸崎さんは小さく首を振る。

「ありがとうはこっちの台詞だよ。いつも急ぎの案件ばかりお願いしてごめんね」
「いえ、そんな……」
 
 向けられた眼差しは春の陽だまりのように温かい。……けれど、私はそんな視線が少しだけ苦しかった。

「えっと、では私、こちらの作業を先に進めますね」
「あ、うん。仕事の邪魔してごめんね」

 誤魔化す様に視線を落として書類に手を伸ばしていると、幸崎さんは「後は宜しく」と片手をあげて席を離れていく。

(ああ、またやっちゃった)

 どうしてうまく立ち回れないんだろう――。
 遠ざかる仕立てのよい濃紺のスーツを着こなす後ろ姿を見つめながら、私は唇をきつく噛み締めた。

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