冷徹御曹司は誤解を愛に変えるまで離さない

第八章 近づく距離と残る壁

 帰国のフライトは、妙に静かだった。
 隣に颯真がいるのに、言葉はほとんど交わされない。
 彼は資料を眺めるふりをして時折私を見やる。その視線に気づくたび、胸がざわついた。

 ──美沙さんの言葉が本当なら、私はずっと勘違いをしてきたことになる。
 でも、彼の冷たい態度や短い言葉は、全部不器用さのせい……?
 そう簡単に、信じきれるはずがない。



 帰国後、同居生活が再開した。
 以前よりも、颯真の態度ははっきりと変わっていた。
 私が帰宅する時間を合わせたり、仕事終わりに「送る」と言い出したり。
 それでも私は、無意識に距離を取ってしまう。

「今日は早かったな」

「ええ、仕事が片付いたから」

「……なら、一緒に夕飯に行こう」

「……急に?」

「駄目か?」

 ほんの一瞬だけ見せた不安そうな目に、言葉を詰まらせる。
 ──駄目じゃない。むしろ、行きたい。
 けれど、その一歩を踏み出すのが怖い。

「……また今度にしましょう。疲れてるから」

 颯真は何も言わず、小さく頷いた。
 けれど、その手がわずかに握りしめられているのを見てしまう。



 数日後、社交界のパーティーがあった。
 会場に着くと、すぐに数人の男性が声をかけてくる。
 軽く会釈してやり過ごそうとしたとき、背後から低い声が響いた。

「……離れろ」

 振り返ると、颯真が私の腰を強く引き寄せていた。
 驚きと同時に、周囲の視線が集まる。

「婚約者に手を出すな」

 その一言で場の空気が凍る。
 相手の男性が退散していくのを横目に、私は押し殺した声で言った。

「……人前でこんなこと、やめて」

「嫌だ。……お前が誰かに取られる方がもっと嫌だ」

 耳元に落ちた低い声に、心臓が跳ねた。
 けれど、まだその言葉を完全には信じられない。



 夜、部屋に戻っても、さっきの声が耳に残っていた。
 信じたい。
 でも、信じてもし裏切られたら、私はきっと立ち直れない。

 ──だから、もう少しこの距離を保っていたい。
 そんな弱さが、また二人の間に壁を作ってしまうのだった。
< 10 / 19 >

この作品をシェア

pagetop