冷徹御曹司は誤解を愛に変えるまで離さない

第十三章 境界線の崩壊

 その夜は、珍しく眠れなかった。
 ベッドの中で、昼間の颯真の背中を何度も思い出す。
 ──あの優しい声も、私をかばった時の温もりも。
 けれど、「婚約者だから」という言葉が、まだ心に棘のように刺さっていた。



 翌日、仕事を終えて屋敷に戻ると、玄関ホールに颯真が立っていた。
 まるで待ち構えていたかのように。

「……話がある」

 低い声に逆らえず、私は彼の執務室に連れて行かれる。
 扉が閉まる音がやけに重く響いた。

「お前……俺を避けているな」

「……避けてない」

「嘘だ。目も合わせない、食事も別、会話も必要最低限」

 言葉が詰まる。
 その通りだから。

「……だって、あなたの本心が分からない。優しくされたかと思えば、突き放す。何を考えてるのか……」

「全部、お前のせいだ」

「……え?」

「近づこうとすれば逃げる。笑えば、誰か他の男と一緒。……俺をどうしたい?」

 押し寄せるような熱と視線に、心臓が暴れ出す。
 颯真が一歩詰め寄り、机の端に私を追い詰める。

「……本当は、全部壊してしまいたいくらいだ」

 その声は低く、危うい。
 次の瞬間、彼の手が私の頬に触れた。
 吐息が触れる距離。
 けれど、そこで彼は目を閉じ、わずかに顔をそらした。

「……今はまだ、やめておく」

 そう言って距離を取る。
 その背中は、何かを必死で抑え込んでいるように見えた。



 残された私は、胸の鼓動を抑えられずに立ち尽くしていた。
 ──あの時、もし彼が一歩踏み込んでいたら。
 そう思うだけで、全身が熱を帯びる。
 それでも、まだ信じる勇気は出なかった。
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