二つの航路
番外編 美桜
美桜が空港に初めて降り立ったのは、小学生の頃だった。
家族旅行で訪れた海外行きのゲート。
制服姿のキャビンアテンダントが笑顔で乗客を迎える光景が、幼い心に強く焼き付いた。
その瞬間から、美桜にとって空はただの景色ではなく、「いつか自分が立つ場所」になった。
◇
高校卒業後、専門学校に進み、英語と接客を学んだ。
同級生の多くは「花形の職業」としての憧れを口にしたが、美桜は少し違った。
あの制服の奥にある“責任感”を知りたかった。
どんな状況でも笑顔でいられる人たちが、何を背負っているのかを。
その思いは、就職してからも変わらなかった。
最初の配属は国内線。
乗務の合間には急なトラブル、乗客対応、スケジュール変更。
笑顔で乗り切るための裏には、常に細やかな判断と体力が必要だった。
仕事は厳しかったが、美桜はその環境を嫌いになれなかった。
むしろ、毎便が小さな挑戦のようで、やりがいがあった。
ただ、プライベートは空白だった。
不規則な勤務に友人との予定は合わず、恋人ができても長くは続かない。
「仕事ばかりだね」と言われるたび、胸の奥で小さな棘が刺さる。
でも、美桜は仕事を譲る気はなかった。
恋人よりも、今はこの空にいる自分の方が大切だった。
国際線への異動が決まったのは、入社四年目。
新しい制服を受け取り、初めての長距離路線に胸を高鳴らせた。
けれど同時に、不安もあった。
国際線のクルーは経験も性格も多様で、国内線以上にチームワークが試される。
その中で、自分がうまくやっていけるのか——。
異動初日、美桜はブリーフィングルームで緊張のあまり声が少し上ずった。
乗務員たちの中に、一際落ち着いた雰囲気のパイロットがいた。
無駄のない動き、淡々とした口調、けれど視線は真っ直ぐで鋭い。
それが、東條遼との最初の出会いだった。
その時はまだ、特別な感情はなかった。
ただ、「この人は感情を表に出さないタイプだ」と思っただけ。
でも、フライト中に何度か業務で言葉を交わすうち、その印象は少しずつ変わっていった。
必要な時にだけ差し伸べられる短い言葉、さりげない配慮。
大げさな優しさではないのに、なぜか心に残る。
たとえば、長距離便で体調を崩しかけたとき。
何も言わなくても、遼は美桜の交代をさりげなく早めてくれた。
「無理をするな」とも「大丈夫か」とも言わない。
ただ、必要な行動だけをしてくれる。
それは、今まで出会った誰とも違う距離感だった。
美桜は気づかないうちに、遼を目で追うようになっていた。
業務連絡の声を聞くと、自然と耳が向く。
彼の短い頷き一つで、不思議と安心する。
それが何を意味しているのかを自覚したのは、もっと後のことだ。
振り返れば、出会う前の自分は、仕事に全てを賭けることで孤独を埋めていた。
遼と出会ってからは、その孤独を“共有してもいい”と思えるようになった。
それが、美桜にとってどれだけ大きな変化だったのか。
きっと彼は、まだ知らない。
あの日、最初に握られた手の感触。
それは、美桜が自分の居場所をやっと見つけた瞬間だった。
出会う前、美桜は空だけを見上げていた。
出会った後は、その空の向こうに、必ず彼の姿を思い描くようになった。
そして今も、その景色は変わらない。
家族旅行で訪れた海外行きのゲート。
制服姿のキャビンアテンダントが笑顔で乗客を迎える光景が、幼い心に強く焼き付いた。
その瞬間から、美桜にとって空はただの景色ではなく、「いつか自分が立つ場所」になった。
◇
高校卒業後、専門学校に進み、英語と接客を学んだ。
同級生の多くは「花形の職業」としての憧れを口にしたが、美桜は少し違った。
あの制服の奥にある“責任感”を知りたかった。
どんな状況でも笑顔でいられる人たちが、何を背負っているのかを。
その思いは、就職してからも変わらなかった。
最初の配属は国内線。
乗務の合間には急なトラブル、乗客対応、スケジュール変更。
笑顔で乗り切るための裏には、常に細やかな判断と体力が必要だった。
仕事は厳しかったが、美桜はその環境を嫌いになれなかった。
むしろ、毎便が小さな挑戦のようで、やりがいがあった。
ただ、プライベートは空白だった。
不規則な勤務に友人との予定は合わず、恋人ができても長くは続かない。
「仕事ばかりだね」と言われるたび、胸の奥で小さな棘が刺さる。
でも、美桜は仕事を譲る気はなかった。
恋人よりも、今はこの空にいる自分の方が大切だった。
国際線への異動が決まったのは、入社四年目。
新しい制服を受け取り、初めての長距離路線に胸を高鳴らせた。
けれど同時に、不安もあった。
国際線のクルーは経験も性格も多様で、国内線以上にチームワークが試される。
その中で、自分がうまくやっていけるのか——。
異動初日、美桜はブリーフィングルームで緊張のあまり声が少し上ずった。
乗務員たちの中に、一際落ち着いた雰囲気のパイロットがいた。
無駄のない動き、淡々とした口調、けれど視線は真っ直ぐで鋭い。
それが、東條遼との最初の出会いだった。
その時はまだ、特別な感情はなかった。
ただ、「この人は感情を表に出さないタイプだ」と思っただけ。
でも、フライト中に何度か業務で言葉を交わすうち、その印象は少しずつ変わっていった。
必要な時にだけ差し伸べられる短い言葉、さりげない配慮。
大げさな優しさではないのに、なぜか心に残る。
たとえば、長距離便で体調を崩しかけたとき。
何も言わなくても、遼は美桜の交代をさりげなく早めてくれた。
「無理をするな」とも「大丈夫か」とも言わない。
ただ、必要な行動だけをしてくれる。
それは、今まで出会った誰とも違う距離感だった。
美桜は気づかないうちに、遼を目で追うようになっていた。
業務連絡の声を聞くと、自然と耳が向く。
彼の短い頷き一つで、不思議と安心する。
それが何を意味しているのかを自覚したのは、もっと後のことだ。
振り返れば、出会う前の自分は、仕事に全てを賭けることで孤独を埋めていた。
遼と出会ってからは、その孤独を“共有してもいい”と思えるようになった。
それが、美桜にとってどれだけ大きな変化だったのか。
きっと彼は、まだ知らない。
あの日、最初に握られた手の感触。
それは、美桜が自分の居場所をやっと見つけた瞬間だった。
出会う前、美桜は空だけを見上げていた。
出会った後は、その空の向こうに、必ず彼の姿を思い描くようになった。
そして今も、その景色は変わらない。
