二つの航路
第七章 交わらない視線
シドニー便から帰国して三日後、美桜は再び成田空港にいた。
今日の行き先はパリ。春の終わりを迎えたヨーロッパは観光客で賑わっていると聞く。
ブリーフィングルームに入ると、見慣れた背中が目に入った。遼だ。
彼は壁際に立ち、資料を片手に黙々と何かを書き込んでいる。
声をかけるか迷ったが、結局できなかった。
――どうせまた、すぐに視線を逸らされる。
そんな予感が、足を前に進ませなかった。
離陸後、機体は順調に高度を上げていった。
サービスが始まり、客席を回っていると、後方から直哉が近づいてくる。
「美桜、帰りの便でちょっと話せないか?」
「……話?」
「例の海外拠点の件。向こうの上司が会いたいって」
唐突な提案に、美桜は一瞬驚いたが、「わかった」と頷いた。
そのやり取りを、通路の反対側から遼が見ていたことに気づいたのは、直哉が去った後だった。
短く視線を交わしたが、彼はすぐに背を向けてしまう。
パリ到着後、ホテルのロビーで同僚たちと待ち合わせをしていると、遼が森川と並んで入ってきた。
森川の手には紙袋があり、遼は何かを受け取っている。
「お土産?」と問われた森川が笑って頷く。
その光景を見て、美桜の胸にまた小さな棘が刺さった。
――ああいう距離感、私にはない。
自分でもどうしようもないほど、視線を逸らすことができなかった。
翌日。
オフの時間を使って、美桜は直哉と短時間だけ市内を回った。
カフェのテラス席で休憩していると、道の向こう側を遼が歩いていくのが見えた。
こちらに気づいたのかどうか、顔を向けかけて、そのまま進んでいく。
胸の奥がひどくざわつく。
「……どうかした?」
直哉の声に、「ううん」と首を振った。
だが、そのやり取りをする自分の表情は、きっと隠しきれていない。
復路の便。
出発準備中、美桜は後方ギャレーで直哉から資料を受け取っていた。
「向こうの上司、来月パリで待ってるって。正式に話、進めていい?」
答えを出す前に、遼の声が飛んだ。
「佐伯、客席の確認は終わったのか?」
低く、硬い声。
「今、行きます」
そう返すと、遼は何も言わずに前方へ去っていった。
胸の奥に、冷たい感触が広がる。
――やっぱり、私のことは仕事仲間以上には見てないんだ。
巡航中、軽い揺れが続いた。
シートベルトサインが点灯し、美桜は急ぎ通路を確認していた。
客席の脇で揺れに足を取られかけた瞬間、腕を掴まれた。
遼だった。
「危ない」
短く言って、自分の方に引き寄せる。その距離はほんの一瞬だったが、心臓が跳ねた。
しかし、すぐに彼は手を離し、背を向けた。
温もりだけが、そこに残された。
成田到着後。
ゲートで乗客を送り出し終えたとき、直哉が小声で言った。
「来月の話、やっぱり会ってみない?」
「……考えておく」
そう答えた瞬間、出口付近で遼と目が合った。
しかし彼は何も言わず、ただ視線を逸らしていった。
――どうして、何も言ってくれないの。
胸に溜まった思いは、行き場をなくしたまま、静かに重さを増していく。
今日の行き先はパリ。春の終わりを迎えたヨーロッパは観光客で賑わっていると聞く。
ブリーフィングルームに入ると、見慣れた背中が目に入った。遼だ。
彼は壁際に立ち、資料を片手に黙々と何かを書き込んでいる。
声をかけるか迷ったが、結局できなかった。
――どうせまた、すぐに視線を逸らされる。
そんな予感が、足を前に進ませなかった。
離陸後、機体は順調に高度を上げていった。
サービスが始まり、客席を回っていると、後方から直哉が近づいてくる。
「美桜、帰りの便でちょっと話せないか?」
「……話?」
「例の海外拠点の件。向こうの上司が会いたいって」
唐突な提案に、美桜は一瞬驚いたが、「わかった」と頷いた。
そのやり取りを、通路の反対側から遼が見ていたことに気づいたのは、直哉が去った後だった。
短く視線を交わしたが、彼はすぐに背を向けてしまう。
パリ到着後、ホテルのロビーで同僚たちと待ち合わせをしていると、遼が森川と並んで入ってきた。
森川の手には紙袋があり、遼は何かを受け取っている。
「お土産?」と問われた森川が笑って頷く。
その光景を見て、美桜の胸にまた小さな棘が刺さった。
――ああいう距離感、私にはない。
自分でもどうしようもないほど、視線を逸らすことができなかった。
翌日。
オフの時間を使って、美桜は直哉と短時間だけ市内を回った。
カフェのテラス席で休憩していると、道の向こう側を遼が歩いていくのが見えた。
こちらに気づいたのかどうか、顔を向けかけて、そのまま進んでいく。
胸の奥がひどくざわつく。
「……どうかした?」
直哉の声に、「ううん」と首を振った。
だが、そのやり取りをする自分の表情は、きっと隠しきれていない。
復路の便。
出発準備中、美桜は後方ギャレーで直哉から資料を受け取っていた。
「向こうの上司、来月パリで待ってるって。正式に話、進めていい?」
答えを出す前に、遼の声が飛んだ。
「佐伯、客席の確認は終わったのか?」
低く、硬い声。
「今、行きます」
そう返すと、遼は何も言わずに前方へ去っていった。
胸の奥に、冷たい感触が広がる。
――やっぱり、私のことは仕事仲間以上には見てないんだ。
巡航中、軽い揺れが続いた。
シートベルトサインが点灯し、美桜は急ぎ通路を確認していた。
客席の脇で揺れに足を取られかけた瞬間、腕を掴まれた。
遼だった。
「危ない」
短く言って、自分の方に引き寄せる。その距離はほんの一瞬だったが、心臓が跳ねた。
しかし、すぐに彼は手を離し、背を向けた。
温もりだけが、そこに残された。
成田到着後。
ゲートで乗客を送り出し終えたとき、直哉が小声で言った。
「来月の話、やっぱり会ってみない?」
「……考えておく」
そう答えた瞬間、出口付近で遼と目が合った。
しかし彼は何も言わず、ただ視線を逸らしていった。
――どうして、何も言ってくれないの。
胸に溜まった思いは、行き場をなくしたまま、静かに重さを増していく。