野いちご源氏物語 三六 横笛(よこぶえ)
少しうとうとなさっていると、衛門(えもん)(かみ)様が夢に現れなさった。
ご病室で遺言(ゆいごん)をおっしゃったときのお姿で、大将(たいしょう)様のおそばに座っておられる。
形見(かたみ)の笛を持ってご覧になっているの。
<あぁ、気の毒だ。(たましい)がさまよっているのだろう。音色が聞こえてここにやって来たのだな>
ぼんやりと大将様がお思いになっていると、衛門の督様がおっしゃる。
「この笛は私の大切な人に(ゆず)りたかったのに」

「それはどなたです」と尋ねようとなさったとき、若君(わかぎみ)が起きてお泣きになる声で目が覚めてしまわれた。
()くほどひどくお泣きになるので、乳母(めのと)も起きて騒ぎはじめる。
雲居(くもい)(かり)(あか)りを近くに置かせると、邪魔(じゃま)なお(ぐし)は耳に(はさ)んで若君をお抱きになった。
白く豊かなお胸を出してお(ちち)を飲ませるふりをなさる。
乳母がお乳をやっているから、母君(ははぎみ)のお乳は実際は出なくなっているのだけれど、若君を落ち着かせるためになさっているの。

大将様は寄っていって、
「いったいどうしたのだ」
とお尋ねになる。
近くでは女房たちが()()けのおまじないをしている。
不思議な夢をご覧になっていたのに、すっかり現実に引き戻されてしまわれた。
「なんだか苦しそうなのです。おしゃれしてお出かけになって、やっと帰っていらしたと思えば月がどうとか言って窓なんかお開けになったから、きっと妖怪(ようかい)が入ってきてしまったのでしょう」
三十歳近い女君(おんなぎみ)だけれど、若々しくかわいらしいお顔で文句をおっしゃるから、大将様は思わずほほえんでしまわれる。

「たしかに私が窓を開けなければ入って来られなかっただろうね。子だくさんの母親になって、ずいぶん深いところまでお考えをめぐらせるようになってしまわれた」
夫君(おっとぎみ)のまなざしがあまりにお美しいので、女君は気恥ずかしくなってそれ以上の文句はおっしゃらない。
ただ、
「もうご覧にならないで。みっともない格好をしていますから」
とお顔を(そむ)けなさるご様子がおかわいらしい。
若君は本当にどうなさったのかしら、泣いてご機嫌(きげん)の悪いまま夜が明けていった。
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