桜吹雪が舞う夜に

記憶 Hinata Side.

診察室の空気はひどく張りつめていた。
机の向こう、痩せた肩を小さく揺らす少女が、かすかな声で名乗った。

「……初めまして。宮崎理緒です」

その声音は年齢よりもずっと幼く聞こえた。けれど、その瞳に宿る疲労の色は、子供らしい輝きをとうに奪われていた。

「循環器内科、医師の御崎です。今日から主治医を担当します」
努めて落ち着いた声で答える。白衣の袖を整え、カルテを開いた。

「現時点では、β遮断薬とACE阻害薬を継続して使っていきます。心機能を少しでも温存することが第一です」
「……場合によっては、補助循環の導入や、将来的に心臓移植も視野に入れる必要があります」

両親は真剣に頷き、一言も聞き漏らすまいと必死に耳を傾けていた。
少女は、ただ微笑んでいた。状況をどれだけ理解しているのか分からない。
だが、その小さな笑顔が痛烈に胸を突いた。

――助からないだろうな。
説明をしながら、心の奥底ではそう思っていた。

言葉を尽くすほどに、自分の中の確信が強まっていく。
この子の心臓は、もう限界に近い。薬で延命することはできても、奇跡のように回復することはない。

それでも希望を口にしなければならない。
自分の役目は、医学の枠の中で最善を探し続けることだから。

――けれど初めから分かっていた。
きっと、この子を救うことはできない。

カルテの文字が滲んで見えた。
その瞬間の自分を、今も許せない。
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