桜吹雪が舞う夜に


しばらく診察を重ねていくうちに、理緒は少しずつ俺に慣れていった。
最初は緊張したように言葉少なだったが、薬の説明を終えたあとふいに口を開いたことがある。

「先生、昨日ね、友達が貸してくれた漫画、一気に読んじゃったんです」
「へぇ、どんなの?」
「バスケの漫画で、すっごく面白くて……!でも走るシーンが多くて、ちょっと羨ましくなっちゃいました」

笑いながらそう話す姿は、病気のことなんて忘れさせるくらい普通の少女そのものだった。
けれどその笑顔が、逆に胸を深く抉った。

――本当なら、友達と一緒に体育館を駆け回って、汗をかいて、笑い合っている年齢だ。
なのに彼女は病棟のベッドに縛り付けられて、点滴のチューブを腕に下げながら、走ることを「漫画の中」でしか楽しめない。

(どうして、こんな子が――)

思えば、あの時からすでに自分は彼女に感情を引きずられていた。
なるべく感情移入なんてしないほうが楽だと思っていたはずなのに。
ただの医師としての距離感を保つことが、難しくなっていた。

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