桜吹雪が舞う夜に


水瀬は肩をすくめる。
「相変わらずね。あなたは“守る”って言葉に縛られてる。
私は――可能性を試したい。それだけ」

互いに譲れないものを抱えたまま、二人の視線がぶつかり合う。

その気迫に俺は観念して深く息を吐き、コーヒーカップを机に置いた。

「……分かった。正直に言う。
俺の、自分勝手で世俗的な欲望でいいから、言わせてくれ」

水瀬の視線が鋭く突き刺さる中、真っ直ぐに言葉を続ける。
「俺は桜と、普通に結婚して、子供も作りたい。
ただ、それだけだ。
特別な使命とか理想とかじゃなく……ただの、普通の幸せだ」

一瞬、静寂。
低く、しかし確かに言い切った。
「なぁ、水瀬。……邪魔しないでくれないか」

水瀬は驚いたように眉を上げ、それからゆっくりと笑みを浮かべた。
「……あなたがそう言うの、初めて聞いたわ。
守るとか使命とかじゃなく、“欲望”だなんて」

挑むようなその笑みにも、怯まずに見つめ返した。


水瀬は脚を組み直し、ふっと口角を上げた。
「……そんなに子供が欲しいなら、今すぐ作ったら?
桜ちゃんが学生のうちに」

思わず低い声が漏れる。
「……ふざけるな」

「ふざけてなんかないわ」
水瀬は挑むように視線を絡めた。
「あなたが言ったのは“世俗的な欲望”でしょう?
だったら、理想や使命を盾にする必要もない。
ただ欲しいものを欲しいって言うなら――今すぐでもいいんじゃないの?」

「……俺はそんな無責任なことはしない」
低く、噛み締めるように。
「桜の人生を台無しにしてまで、自分の欲望を押し通す気はない」

水瀬は一瞬目を細め、それからゆっくり笑った。
「やっぱりあなたは、そういう人よね。
だからこそ、彼女はあなたに惹かれるんでしょうね」


ーー言い終えた瞬間、水瀬の院内PHSの音が鳴り響く。
水瀬は画面表示だけ確認すると、ずっと立ち上がり、俺には一瞥もくれずに立ち去っていった。


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