桜吹雪が舞う夜に


湯上がりの髪をタオルで押さえながら部屋に戻ると、日向さんが窓辺に腰かけていた。
夜の海は昼間よりも深く、波の音だけが響いている。

「冷えないうちに、こっちに」
そう言われて隣に座ると、肩にそっと手が置かれた。

ただそれだけのことなのに、心臓が跳ねる。
非日常の夜が、静かに熱を帯びていくのを感じた。

「……今日は、ありがとうございます」
自分でも照れくさいくらい小さな声だった。

日向さんは何も言わず、代わりに私の髪に触れた。
指先が耳にかかる髪をなぞるたび、熱が喉まで込み上げる。

「……桜」
名前を呼ぶ声は、海よりも静かで、でも抗えない力を持っていた。

唇が触れた瞬間、時間がすべて溶けていく。
不器用に、けれど真剣に――彼は丁寧に私を抱き寄せた。

外では波が寄せて返している。
その音を遠くに聞きながら、私はただ彼に身を委ねた。

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