桜吹雪が舞う夜に

葛藤 Hinata Side.



仕事終わり、病院を出た段階で桜の名前で着信があった。
……今日は飲み会だとか言ってなかったっけ。
そう思いながら電話に出ると、聞こえてきたのは桜とは違う、男の声だった。

「ーー御崎先生、ですよね?

医学科3年の酒井遼です。すみません、桜のスマホから勝手に連絡先探して連絡してます」

胸の奥に冷たいものが走った。
……なぜ酒井が?

「あの、桜なんですけどーーサークルの飲み会でちょっと飲み過ぎたみたいで、ひどく泥酔してて。先生、迎えに来てあげていただけませんか。今仕事中ですか?」

「いや……今終わったとこ。……場所は?」
できるだけ感情を抑え、短く返す。

「新橋駅近くのうえのって居酒屋です」

「分かった。……20分ぐらいで着くと思う。
でも、大丈夫、なのか?」

「えぇ、大丈夫です、意識はあります。
ただちょっと……受け答えが曖昧で、一人で帰れなさそうな感じで。女の子だし、俺も心配で」

一瞬、奥歯を噛みしめた。
酒井の言葉に含まれる「女の子だし」という響きに、苛立ちと同時に安堵が入り混じる。少なくとも、危険なことには巻き込まれていない。

「……連絡ありがとう」

「いえ。すみません、決して飲ませてたとか、そういうわけじゃないんですが」

「分かってる。お前はそんなことをする奴じゃない」
自然とそう返していた。声は冷静を装っていたが、胸の奥では鼓動が嫌なリズムを刻んでいた。

電話を切ると同時に、足早に駅へ向かう。
夜風が熱を帯びた頬を撫でていくが、胸のざわめきは静まらない。
街の灯りがやけに白々しく感じられた。

桜は、普段そんな無茶をする子じゃなかった。
酒にしても、せいぜいグラス二杯で止めてしまうような、控えめな子だ。
――先週のことが脳裏をよぎる。将来について話し合った夜。俺の焦りを押しつけるように語ってしまった、あの時間。

もしかしたら、あれが彼女を追い詰めたのか。
本当は、あんな話をするべきじゃなかったんじゃないか。
将来のことなんて、彼女自身が「話したい」と思える時まで、待ってやるべきだったんじゃないのか。

そう思った途端、走る足が少しだけ重くなった。
胸の奥で疼く後悔を、夜風がいっそう強く掻き立てていった。


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