桜吹雪が舞う夜に


新橋の雑踏を抜け、指定された居酒屋に着くと、店先にはまだ笑い声が溢れていた。
ガラス越しに中を覗けば、賑やかな喧噪の隅で、桜が机に突っ伏している姿が目に入った。
その傍らには酒井が座り、落ち着かない様子でこちらを振り返った。

「御崎先生!」
立ち上がる酒井の声が、周囲のざわめきに一瞬だけ呑み込まれた。

近づくと、桜の頬は赤く染まり、長い睫毛が伏せられている。
名前を呼んでも、かすかに目を開けるだけで、まともな言葉は返せなかった。

その姿にどうしようもなく胸が締め付けられる。
……もし俺の言ったことを引き摺ってこんな無茶をしたんだとしたら。そんな想像が頭から離れなかった。


「……ありがとう、酒井。ここまで見ててくれて」
桜の肩を抱き起こし、腕を回す。
小さな身体は、驚くほど軽い。だが同時に、その重さを全部自分が背負わなければならないような錯覚に陥る。

「すみません、本当に……飲ませたわけじゃなくて、ただ……」
酒井はうつむき、言葉を探すように繰り返した。

「分かってる」
短くそう返す。
本当に、彼を責める気はなかった。
それよりも、酔いつぶれた桜の唇から漏れる「……ごめんなさい」というかすかな囁きの方が、何倍も胸を抉った。


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