桜吹雪が舞う夜に
腕に資料の束を抱え、部屋を後にする。
夜の病院棟は静かで、足音だけが硬い床に響いていた。
ふと、脳裏に浮かぶ光景がある。
プロジェクターに心電図を映し、学生たちに問いかけていた自分。
拙い答えに思わず笑い、補足を加えながら解説していた――あの講義室の光景。
廊下の窓に映る自分の姿をちらりと見て、苦笑が漏れた。
「……続けたかったな」
呟きは誰に聞かれるでもなく、蛍光灯の明かりの下に吸い込まれていった。
……桜に、会いたい。会って抱きしめたい。こんな情けない姿を見られたくないとも思う一方で、どうしようもなく、そう思った。
……俺は結局、いつも役割意識から逃れられない。
牧師の息子として、医者として、歳上の男として――。
強くあれ、正しくあれ、守る側であれと求められ続けて、もうそれ以外の生き方を知らない。
桜に対しても同じだ。
気づけば「守らなきゃいけない」とばかり思って、弱さなんて見せられない。
もし彼女が俺の脆さを知ったら、幻滅して離れていくんじゃないか。その恐怖が常に頭にあった。
それでも、それは、信じてないってことなのか……?
桜を、そして神を。
分からない。
けれど、心のどこかで願ってしまう。
いつかは、こんな自分でも――
弱さも、情けなさも、全部受け入れてほしい、と。
もし受け入れて貰えたなら、きっと今以上に俺と彼女は真の意味で繋がれる関係になれるはずだから。
それは怖い望みだ。
拒まれる可能性を考えるだけで、胸の奥が冷たくなる。
けれど、逃げ続けて役割を演じたままの関係には、いつか限界が来る。
……桜は、そんな俺の矛盾すら受け止めてくれるだろうか。
無邪気に笑って「大丈夫です」と言ってくれるだろうか。
いや。
願うだけじゃ駄目だ。
俺が信じ、委ねる覚悟を決めなければ――何も始まらない。
夜の闇を見上げながら、胸の奥でそっと呟く。
「……いつか、きっと」