桜吹雪が舞う夜に
電話を切った水瀬は、苛立ちを隠さずに深いため息をついた。
その横で、一部始終を聞いていた同僚が眉をひそめる。
「……今の、循内の向坂教授だろ。あんな物言いして、大丈夫か?」
水瀬は机に肘をつきながら、ふんと鼻で笑った。
「知らないわよ。ああいう連中に遠慮して、現場が潰れたら本末転倒じゃない」
「でもさ……向坂教授って、病院の中じゃ相当な影響力持ってるんだろ?
下手に敵に回したら――」
「だから何よ」
水瀬は遮るように言い放った。
「私は“現場の医者”よ。命が目の前で消えていく現場に立ってる。
あいつらの都合で人が死ぬなんて、絶対に許せないの」
同僚は口をつぐんだまま、困ったように眉をひそめる。
そんな沈黙を破るように、水瀬は苛立ちを込めて続けた。
「日向も相当参ってるだろうな。
学生と付き合うのなんて、別に禁止でも何でもないのに」
コーヒーを乱暴に口に含み、机にカップを置く。
「実際すぐ講義担当から降ろせば解決するところを……あのサイコパス教授が一人で庇い立てしてるから、余計にややこしくなってるらしい」
「……庇ってる?」
同僚が目を丸くする。
「そう。やっとの思いで助教に引き上げたばかりの自分の“大事な駒”が、下らないスキャンダルで潰されるのが納得いかないんでしょうね。
――もし要求が通れば、日向を一生“従順な駒”にできる。
周囲に“部下を守る器量のある教授”だと示すこともできる。
失敗したって、『部下を庇った』って実績だけは残せるからプラスにしかならない。
あいつにデメリットなんて一つもない」
深いため息をつき、苦笑する。
「あの男、計算高すぎて嫌になる。……私だったらあんな奴が上司になった段階で、即辞表叩きつけてるわ」
吐き出すように言ったその声には、怒りと諦めが入り混じっていた。