桜吹雪が舞う夜に


「……でも、私やっぱり覚えられるかなぁ」
桜が小さな声で呟き、メニュー表をめくりながら眉を寄せた。
「カクテルの名前って、難しいのばっかりで。カタカナばっかりで、どれがどれだか……」

「最初は誰だってそうだよ」
朔弥が笑いながら、手にしたグラスを布巾で磨く。
「お客さんの半分だって、メニュー見て『これってどんな味?』って聞いてくるくらいだから」

「……そうなんですか?」
桜が目を丸くして問い返す。

「うん。だから覚えるコツは味で分類すること。柑橘系、甘い系、苦い系、強い系……ってね」
軽快な口調で言いながら、朔弥はカウンターに数種類のボトルを並べた。

桜は小さなノートを取り出し、真剣な顔でメモを書き込んでいく。
その指先が細かく動くのを横で眺めながら、胸の奥にじんわりとした温かさが広がった。
ーーこういうときの彼女は、本当に真面目で、一途だ。だからこそ守りたくなる。

「それで、桜ちゃん」
朔弥がグラスを置き、少し真面目な声音で切り出す。
「いつからならシフト入れる?」

「あ……」
桜は視線を揺らしながら答えを探す。
「えっと……週に2回くらいなら、きっと大丈夫だと思います。授業が詰まってない日なら……」

「金曜と日曜なんかは?」

「はい。そのあたりなら」

「おっけー」
朔弥は満足げに頷き、にやりと笑った。
「じゃあ来週の金曜から早速。最初は研修がてら軽い仕事からでいいから、安心して」

「……ありがとうございます!」
桜は深く頭を下げる。

隣でそのやり取りを聞きながら、俺は黙ってまたカクテルを口にした。
ーー大丈夫だ。彼女なら、きっとやっていける。
そう思う一方で、胸の奥にほんの僅かな不安も残る。
新しい場所に足を踏み入れる彼女を、手放すような気持ちがしたのだ。

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