桜吹雪が舞う夜に

それから2人で、音楽に耳を傾けながらも、たまに朔弥も交えて他愛無い話をした。大学のこと。昔のこと。
時間は過ぎるのはあっという間で、気づけば店内にも人は疎になりつつあった。

「おふたりさん」
カウンター越しに朔弥の声が飛んできた。ちらっと時計を見て、口元に悪戯めいた笑みを浮かべる。
「そろそろ終電だけど、大丈夫か?」

桜がハッと顔を上げる。その仕草に、俺の手元のグラスもつられて止まった。
「……もうそんな時間か」

「いや、これからホテルに行くつもりってんなら別に止めないけどな」
朔弥はわざと肩をすくめ、俺の方を横目で見やった。

「……そういう冗談はやめろ」
思わず低い声が出た。自分でも抑えきれないほど真剣な響きになっていて、グラスを持つ指先に力が入る。

横で桜がぱっと顔を真っ赤に染めた。
「わ、私は! 全然そんなつもりじゃ……!」
必死に首を振るその姿が視界の端に映り、胸の奥が妙に熱を帯びる。

朔弥は堪えきれないとばかりに大笑いした。
「ははっ! 冗談だって。可愛い反応するなぁ、やっぱり純情だわ」

……くだらない。けれど、彼女の狼狽える横顔に心臓が跳ねるのをどうにも止められない。
「……帰るぞ」
短く告げる声は、意識以上に硬かった。

「……はい」
桜は耳まで赤いまま、小さく頷く。その返事に胸の奥の熱がさらに強まった。

夜の街に出ると、冷たい空気が頬を撫でる。
それでもまだ、さっきの彼女の反応が頭から離れず、歩く足取りが落ち着かなかった。

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